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いつか死ねると思ってた

ところが気付けば21。20を超えたら自我や存在認識に悩むなという暴論すら目の前にぶら下がっている始末。メンヘラゆるふわイラストの男児が殆ど学生服であることの意味。10代半ばからは、20になるまでには完遂したいとぼんやり思っていた。


2、3年前は、私が死んだのは冬だという設定にして、ビルから飛び降り、雪の上(落下点が雪の上だと完遂率に影響するのかどうかは気になるところだが)で死に花を咲かせる私の死体に駆け寄る母親を妄想。

〜1年後〜
「鼻美が死んで一年。そちらは寒いですか?こちらは雪が降っています」雪空を眺め、マフラーを握り締める母親

という一連の流れが理想だった。


自慢出来ることではないが、飛び降り企図は十数回、首吊り未遂は覚えているところで6回。閉鎖に行って辛うじて尊敬の眼差しを頂けるくらいじゃなかろうか。本当に自慢じゃない。

私はもしかすると、死ねない方の人間なんじゃないか、と思った時、ゼリーのプールに放り込まれたような、背を這うような寒気、感覚を無くしていく四肢、そして溺れたかのように息も上手くできなくなった。最早、死ねない側だとと割り切り、完遂者に嫉妬しながら、歯ぎしりしているしかないのかもなと考える。

今では古き良き完全自殺マニュアルを、勿論私も所持していた。まずは飛び降りに目をつけていたのでハイライトと付箋、死ねる死ねる楽に逝けると呪詛のように呟いていた。ちなみに現在所持している方の完全自殺マニュアルには黒くなった血のシミがいくつもある。
コナン「おにいさん…血は固まると黒くなるんだよ…」

どうしても解放への第一歩が踏み出せなかった私は、手段を首吊りへとシフトした。★ケーススタディなどを研究して、ネットからも情報を集め、未遂者の自覚する失敗要因、ハイパーベンチレーションの方法ルーズリーフにまとめて、図まで作成して、ファイルにまとめた。最近、このファイルが出て来ていくら感情が無い(笑)私でも途方も無い虚しさを禁じ得なかった。

余談だが、以前Twitterで行った診断メーカーで、私の最期の言葉は「おはよー!」だという結果が出た。おはよー!と叫びながら飛び降りるの、最高にクレイジーでロックだと思う。首吊りは…正直イカさない。


このプロフィール画像は、恐らく首にクレモナロープ(私のこだわり)を巻いた状態で撮影した、自撮(じさつ)だ。そこに、アイコンデコッターで”トッティ!”の吹き出しを入れた。記憶が曖昧過ぎる程曖昧だけど。

私もかつては劇場型ツイッタラーだった。しかし承認欲求というものがある限り、今後どう転ぶかなんて予測不可能だし、今の自分が違うとは、到底断言できない。ていうかアイコン晒してる時点で…。


()が多く、ラップを刻んでいるような拙い文を読んで下さり、ありがとうございました。脳、腐ってない?大丈夫?黒歴史に過ぎない私の経歴や現在のステータスについては今後綴っていきたいと思います。


@38kg_ 鼻美

#エッセイ

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