なぜハンデがある人を「障害者」と呼ぶのか。「障害」ではなく「障がい者」に拘る世の中をおうりぃ目線で考えてみた

こんにちは、noteの目次機能に驚愕したおうりぃです。
こんな簡単に目次作れるなんてnoteはすごいですね。
私のブログ全盛期はhtmlかじってないとアレンジできなかったので進化してるなと感じました。

さて本題ですが皆さんは精神、身体問わずハンデを抱えている人の事をどう表現しますか?
一般的には「しょうがいしゃ」ですよね。
そこで思い出すは数年前のSNSで起きた表記問題。
「障害」ではなく「障がい」である。という論争で炎上しましたよね。
当時はなんでそこまで燃えるんだ、と疑問に思っていたので改めて
おうりぃの持論で解説していければと思います。

障害者とは

大きく身体・精神・知的・発達に分類されており
「生活に制約を受けている者」を表します。
つまり「日常生活を送るうえで困難なことや介助を要する者」を障害者とくくるのです。

ただし精神科医の観点では「当事者本人」が制約を感じるかどうかが起点になるそうです。
つまりどんなに「明らかに特性あるよね」って人がいたとしても本人が日常生活に苦を感じなければ
精神科を受診はそうそうしないので
あくまでグレーゾーン扱い(未診断)になりますので実際には障害者ではありません。
そういう人を無理に周りが診断させるのは人権侵害に値しますので
本人に状況を理解してもらい受診することをオススメします。

障害者=生活を送る上で制約(障害)がある人のことをそう呼びます。

なぜ「障がい者」表記で炎上したのか

私も記憶があいまいでしたので調べ直したところ、「障害者」で使われている
「害」という字がマイナスに見えると一部の公共団体やマスコミが煽ったのが原因だそうです。

一個人の意見としては、当事者の気持ちをわからない第三者が勝手に
「字がマイナス印象ダー」騒ぐ方が迷惑ですし、
当事者としても「事実生活で障害を感じている」ので余計なお節介だと感じました。
そもそも24時間テレビの障害者に何かをやらせて視聴を取るとかもですが
「障害者」だとマイナス印象や特別というもの自体が理解する気のない偏見の塊だと思うんですね。

実生活で障害を感じているのだから「障害者」表記でいいと私は思っています。

おうりぃの持論とまとめ

幾度となくツイッターでもnoteでも発信していますが
「障害者」は特別な人間ではないですし特別扱いは望んでいません。
ただ、「生きる上で段差や壁があるから普通に生きるために道の整備等必要最低限のフォローをしてほしい」
という配慮がほしいだけです。
それをしてもらえることで、ようやく健常の方と同様な生活を送ることができます。

「できないことはできる人がフォローする」

そんな些細な考えをひとりでも多くの人が持ってくれたら
助け合える共存社会が実現するのではないのでしょうか。

最近の世の中の人を見ていると「他人に特別対応してもらって当然」という
感謝の欠けた人が多いと思います。
なぜノーリスクでリターンを求めるのでしょうか?
世の中ギブ&テイク、それが共存社会への一歩だと私は考えます。

ここまでお読みいただいた方ありがとうございました。
パソコン届き次第noteの整理しますので、それまで気まぐれに見ていただけると嬉しいです。

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