甘える人を許せるか

甘える人、怠ける人、法律を破る人。

自分の力で生きていくことができない人、人に依存している人がこの世には存在する。



私がいやな気持ちになった、甘える人の例をあげてみる。

その人は覚〇剤で警察に捕り、三年の服役を経て出てきた。

身体は健康で意識もはっきりしているけれど、「薬で幻覚を見るのが好きらしいし、統合失調症でいいんじゃない」ということで障害者手帳を受け、障害者年金と生活保護で暮らしいている。

出所してからというもの、国から月に数十万円のお金をもらい、半分をゲーム代、半分を違法薬物のために使い、食費がなくなれば女の人の(その人は男)ヒモになる生活を続けている。

ある日、「このゲーム一緒にしない?」と一人一台四万円もする機械を勧められた。

流石に怒りが沸いた。



これは極端な例として、他にたとえば仕事をしない人であるとか、学生なら授業中に宿題をする人であるとか。

自分は言われたことをきちんと頑張っているのに、楽をしている人を見るとなんだかもやもやとしてこないだろうか。


「相手の欠点が気になるときは、自分もそれを気にしているから」

と心理学では言われている。

甘えている人を見てイラッとするのは、自分も甘えたい気持ちがあるからということになる。

そんなの誰だってそうだろう、誰だって。


世の中には、うまく立ち回る人がいる。

世の中には、うまく逃げる人がいる。


慰めの言葉として、「そういう人は、いつか痛い目みる」とか、「まわって自分に帰ってくる」と表現する人がいる。

実際にそういうこともあるかもしれないが、未来なんて分からない。

もしかしたら、そのまま楽をし続けて満足な状態で死ぬかもしれない。


この世は不平等だと思うだろう。

文明の利器に囲まれて生きている自分と、アフリカで泥水を飲んで暮らしている人。

がんばっている自分と、楽をしているあの人。

しかし、本来平等とは「ちがってもいい」ということなのだ。

こういう人がいて、ああいう人がいる。

色んな人がいていい、この世界こそ平等なのだ。


「相手を許せないと思うときは、自分自身のことも許せないと思っている」

心理学では、こういう風に言うこともあるらしい。


一時期、「店内飲食なのに持ち帰り分の税金しか払わない人」を店員に告発する"正義マン"というのが流行った。

彼らは本当は、自分も税金を払いたくないのに、正しい行いをしてしまう自分に怒っている。払いたくないと思っている自分がいることを認められないのである。

芸能人の不倫がどうとか、薬物がどうとか、噂話を書いた週刊誌が売れている。

週刊誌を買う人は、他人の不幸が楽しいのではない。自分もそういうことがしたいという気持ちを、認められないのだ。

イソップ童話の「酸っぱい葡萄」と同じ心理なのである。



甘える人を許すか、許さないかでいったら、「許す」しか選択肢がない。

人を変えることはできない。

自分の受け取り方を変えるしかないのだ。

他人を受け入れるために、まずは

「汚い面を持つ自分を許す」 

ことから始めるといいだろう。




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