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なぜ芸能人は批判されるのか

つい先日、ある男性俳優の不倫問題が社会を大きく賑わせた。

不倫は確かによくない。傷つく人がいるし、子どもがいるなら親としての務めがある。

しかし、SNSを見ていて不思議に思ったことがある。


「許せない」とか「嫌い」とか、「社会的制裁が〜」とか、個人の感情をぶつける人間があまりにも多いことだ。

「許せない」って、なんだ?

あなたは彼の人生を決める権限があるのか。

「嫌い」って、なんだ?

彼はあなたを知らないのに、嫌う必要がどこにある。


同業の芸能人が、「彼のやったことは許されないことだと思います」とか「反省してほしい」と呟くことにも疑問がある。

あなたは彼の親なのか?

代わりに言ってくれと頼まれたのか?



社会心理学では、「公正世界信念」と呼ばれる概念がある。

これは、「良いことをした人には良いことが、悪いことをした人には悪いことが起こる」という信念で、人々はこのような公正な世界の存在を信じ続けたいがため、不倫などの道徳違反を犯した人に対し「悪いことをしたのだから罰を受けて当然」と考え、強い非難やその人を追い込むようなコメントをしやすくなる。自分は当事者ではなく、相手から反撃される心配もないからこそ、赤の他人の非を責めたて、一定の満足感を得るのだ。


「許せない」や「嫌い」と感じる原因は二つあるらしい。

一つは、欲求を自分も持っているから、ということ。

自分も不倫したいけど、倫理的にダメだからとか、キャリアに影響があるからとか、外的要因によって欲求を押さえつけられ、常に不満が溜まっている。

要するに羨ましいのだ。だからバレた人を見つけると、ざまあみろと責めたくなる。


もう一つは、普段から人の悪口を言う人にも共通している。

それは、自分の人生の悲惨さを訴えているということ。

劣等感だったり、失敗したこんなはずじゃなかった、という気持ちを他人を責めたり貶めることで表現している。

学生なら成績のいい自分でいなきゃとか、いい妻いい夫でいなきゃとか、あるべき自分像を抱きながらそれになれないことに傷つき苦しんでいるのだ。

本当は自分は、その理想像になる力がないことを知っている。だけど目を背けて、自分の代わりに他人を叩く。


二つをまとめると、不倫を叩いている人は不倫したいモテたいと思いながらそれを我慢して生活しており、そんな自分を不幸だと思っている。

だから、自分は我慢してるのにやってのける人が羨ましくて、貶めることで満足しようとして叩く。


もちろん例外はあるし、他にも理由は沢山あるだろう。

ただ、根本はルサンチマン(強者に対する妬み嫉み恨み)であることには違いない。



.......不倫、すればいいじゃないか!

女なり男なりを侍らせて、ハーレムをつくってもいいじゃないか。

倫理にこだわる必要は無い、上司が嫌いなら殴ればいいし、お金が無いなら盗むなり誰かのヒモになればいい。

イートイン脱税もやればいいし、楽器ケースの中に潜んでレバノンへ行ってもいい。


確かに、社会を成り立たせるためには他の人と共存していかなければならない。

そのためには譲り合いや協調、忖度や我慢は必要だ。

共存するために、ルールがあり法律がある。

倫理や法律を無視してやりたい放題しろ、と言いたい訳では無い。自分を抑えることが問題なのだ。


だから、自分を抑えて他人を恨むばかりの人生よりも、悪人になっても自分の人生を生きるほうがいい。

他人の悪口を言って足を引っ張っていたら、それだけで人生が終わる。他人のための人生になってしまう。

子どもがいても関係無い。子どもに衣食住と勉学の場を与えるのは親の義務だが、「子どもがいるから」を言い訳にして立ち止まるのは、子供のためにも自分のためにもならない。

人生は一度しかないし、その主人公は自分だ。

他人や社会は気にしない、自分のやりたいことや目指すもののために生きることだ。



そう考えると今回の騒動の本人であるH・M氏は、やりたいように好きなように生きていて、尊敬に値するあるべき人間像だ。

しかし一点だけ、残念な部分がある。

それは、「バレるように不倫している」ということ。

ニュースでは、今までに何度もバレたことがあると書いてあったが、バレるようにするのは未熟な人間のすることである。


やるなら隠し通す、バレない見えないように上手くやる。それが本当の倫理であり思いやりである。











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