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人生に疲れたので、旅にでた

人は休まずに動き続けることはできない。

肉体が疲れたら寝る、マッサージをする。心が疲れたら何かを考えることをやめる、いい景色を眺めたり映画や本を読み心の栄養をとる。

しかし体や心は簡単に休めることができても、中々休むことができないものがある。それは、自分の人生である。

社会の中での役割がある、職場や家族などの断てない人間関係がある。目を背けられない様々な締め切りや、お金や病気などの現実の苦しみ。自分が生きている限り自分であり続けるのだから、それらを手放すには死ぬしかないというようにも見えるけれど、体も心も休みが必ず必要なように、人生そのものも休む時間があってもいいのではないだろうか。


お釈迦様は29歳のときに妻と息子を置いて出家し、苦行の末悟りを開かれたが、これは見方を変えれば悪い意味で「人生を休んだ」とも言えないだろうか。

自分のために何もしてあげないことが苦行ならば、我々のような凡夫には自分を大事にする栄養となる休みが必要なのではないだろうか。


・疲れを感じた

シンエヴァを映画館で見ていたとき、気付けば涙を流していた。

感動したというよりも、黒い綾波レイが労働の喜びや人との繋がりに目覚めていくシーンで、「働くことが苦しい」「人との関わりを拒絶したい」「もう頑張る力が残っていない」と感じる自分がいたことに気付いたからだ。人生に疲れたのだ、休もう、と思った。

なぜ人生に疲れたのか、理由を考えれば色々浮かぶけれど、確かに言えるのはたまたま今がタイミングだったというだけだ。走り続ければ息切れもする、それだけだ。


・迷惑をかける、かけられる

心が死ぬか、経済的に死ぬかであれば、経済的に死ぬほうがいい。生きていれば、やり直せないが立て直せる。でも、心が死んでしまえば、命も尽きてしまうから。

たまたま、職場で壊滅的に馬が合わない人がいて、無視やら後ろで嫌味を言われたりするようになっていたので、丁度いいから仕事は辞めた。お金は困るので、生活福祉資金という国から無利子で借りられる制度を利用した。

これまでの人生で、あまりにもポンポン仕事を辞めてきたので、自分が社会人失格の最低な人間だという自覚はある。でも、私はこういう生き方しかできない。頑張っても、できないのである。

どうやっても迷惑をかけてしまうのなら、私にできるのはそれだけ多くを「許す」ということだけだ。


親が子供に、「他人に迷惑をかけないようにしなさい」と教えることがある。

最近は、公園ではしゃぐ子供がうるさいとクレームが入ったり、どうして返ってこない年金を払ったりして老人を助けなければならないんだというような話を度々耳にするが、迷惑はかけ合うものである。

迷惑をかけるなと言う親も、色々な人に迷惑をかけて大人になった。人は一人では生きられない、迷惑をかけずに生きていくことはできないのだから、迷惑をかけたら「ごめんね」「ありがとう」、かけられたら「大丈夫」でいいのではないか。もちろんかける量は少ないに越したことはないのだが。 


迷惑をかけてしまった人に、恩を返すことは難しい。ならば、他所から迷惑をかけられたときに「大丈夫」と言ってあげることが間接的な恩返しになるだろう。

だから私は、人よりも多くを許し、大丈夫を心がけているが、しかし結局、自分が許されたいだけなのかもしれない。


・そして旅にでた

仕事を辞めてから数日は、ひたすら寝てぼんやりと天井を眺めていた。しかし、鬱病とは違い体や心は健康なのですぐに落ち着かない気持ちになった。なので北は北海道、南は愛媛、合わせて6泊9日(夜行バスを含む)で広義的な日本一周をしてきた。

どうすることが休むことになるかは人それぞれだが、私にとって旅は現実から切り離された存在であり、色々な土地や人からエネルギーを感じて栄養を蓄えられるものだったので、悩む暇もなく即行動にでた。

もちろんお金は無いので、18きっぷと夜行バス、ネットカフェを使い限界まで節約した。

以下、旅の記録というより学びの記録をまとめておく。


・愛媛県、青島で

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青島は別名猫の島とも言われており、面積0.49k㎡、人口6人に対し猫は200匹以上いる。前日に松山に泊まり、始発で船場へやってきた。以前は船がいつも満員で乗れない人もいるくらいだったらしいが、コロナ禍で平日ということもあり、乗客は私の他は一人だけだった。

人の居住区は船場の周り僅かだけであり、そもそも観光地ではないので見る場所は少ない。連絡船を降りてすぐは色々見て回ったものの、1時間で探検はし尽くし帰りの便がくるまで7時間、芝の上に寝転がり昼寝をして過ごした。

離島なので電波の繋がりも良くなく、通信代もえらくかかりそうだったので、猫に混じってただひたすらぼんやりする。時折猫がお腹のうえに乗っかってくるので、起こさないように慎重に撫でながら青い空を眺めていると、ふと感じるものがあった。


「動物たちは今を生きている、今を生きていないのは人間だけだ」という話を聞いたことがあるが、動物は食べることと寝ることだけを考えていればよいのだからそれが許されるのであって、人間はやらなきゃいけないことが沢山あるのだから過去やら未来やら不安に目を向けているのは当たり前だろうとずっと思っていた。

しかし、猫に紛れて昼寝をすることで「人間も猫みたいに生きてもいいんだ」と初めて感じた。

アランは著書「幸福論」で、"悲観主義は感情で、楽観主義は意志の力による"と説いているが、今を生きるということも意志の力が必要なのだと知った。

楽観的とは根拠と準備のある人のことです。しかも、悲観的に検証し、悲観的に準備をし、その上で肯定的に行動すること。それを楽観的と呼ぶのです。(小倉広「アルフレッド・アドラー100の言葉」より)

久しぶりに、体全体で日差しを浴びて、波の音、風の音に耳を傾け、色々な虫が這い飛び交うなかで草と土の香りを感じた。すると、私は中卒で無職だが、人生なんとかなる、いやなんとかするという自信が湧いてきた。

楽観的とは根拠と準備のある人らしいが、それは必ずしもお金や環境を整えることとか、目標に向けた努力をするといったことだけではないと思う。私は自分なりに様々な努力や行動をしてきた、でもダメだった。しかし、ダメだったという事実が私が生きてきたという根拠になり、これからの困難も乗り越えられる準備になる。

学校には行けなかったし普通に働くこともできていないけれども、それができている人がいる。

猫を撫でながら、その事実だけで喜びを感じたのだった。


・旅の終わり、津軽海峡を眺めながら

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北海道といえば、「試される大地」というフレーズ。

とにかく社会から離れたかったので、自然ばかりの北海道へ行きたかったが、道央まで行くお金はないので、端の函館へと向かった。

旅の道中、新潟〜秋田〜青森をひたすら電車に揺られながら、考えるのは「ここに住む子供たちはどんな景色を見ているのだろうか」ということばかりだった。

特に19年に船から飛び降りて亡くなった少女のことが何度も頭をよぎった。

私も高校生の頃二度ほど警察にお世話になったが、あのときの「逃げられない」と「助けてくれない」という絶望感は凄まじいものだった。しかし、田舎とはいえ都心へすぐ出られる場所だったので、「このまま海外逃亡できる かもしれない」「東京でホームレスになれば、目立たずに逃げられる かもしれない」という、かもしれないにとても救われていた。でも、北の端の、離島の少女の絶望は一体どれほどだったのだろう。

田舎は自然豊かだし、人口が少ない分他者との関わりも密接だけれど、逃げられないことに対して私は強い恐怖感を持っていた。


夜中の2時に函館港に着き、40分歩いてネットカフェへ向かうなど中々過酷な旅程だったが、函館山も登って世界三大夜景も見たりしたけれど、とにかく「小さくて狭い」と感じて落ち着かなかった。(もちろんキレイだったし感動した)


なんやかんやで青森へ戻り、夜行バスを待つ間、公園で暗闇の中灯台の明かりを頼りに、その先にある北の大地を思いながら津軽海峡を眺めていた。

津軽海峡は思ったよりも小さかったけれど、とても遠かった。気が付けば、利尻島の少女を想い涙を流していた。


子供たちのためになる作家になりたい、そう願いながら今まで活動を続けてきて、改めてその気持ちを強く感じた。

体はその場所に囚われていても、心はいつだって自由になれるということを伝えたい。

だから、生きるのは苦しいけれどまた頑張ろう、と自分を再確認する旅になった。


・地上に舞い降りた極楽浄土で

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愛媛県の帰りに、京都駅近くのゲストハウスに一泊し、早朝に東本願寺へお参りをしてから、宇治の平等院へと向かった。

私は、真宗大谷派は価値観が一番近しくて好きである。門前に建てられた街灯に書かれる色々な言葉を咀嚼しながら、平等院ミュージアムで色々考えていた。

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よく、様々な宗教で煩悩を消すための苦行や瞑想などが行われている。しかし、欲は希望でもある。

〜したい、〜になりたいなどと思うからこそ、人は行動できる。「他人を笑顔にしたい」とか「愛したい」と思うこともまた欲である。


人間が煩悩を持つのではなく、煩悩でできている身だからこそ、自分から逃げないこと。

悩み苦しみ葛藤することで、煩悩と欲の違いを慧眼する力を養う。それが自由であり、心の解放になるのではないだろうか。

自分にないものを人に分けることはできない。

他人に親切にしたり、喜ばせようとするならば、自分の中から溢れるもの、余った分だけを分ける必要がある。

初期仏教においては、物事は互いの条件付けによって成立し存在し(縁起)、無常であり変化し続けるため、「われ」「わがもの」などと考えて固執(我執)してはならず、我執を打破して真実のアートマン、真実の自己を実現すべきとして、「我でない」(非我)と主張された[6]。(Wikipedia「無我」より)

自分を無にするということは、自分を捨てることではなく、煩悩と欲の違いを知ること。自分や他人を裁判にかけることを辞めて、己の魂が求めるものを聞くことなのだ。

と、極楽浄土で仏様を見上げながら頭というより体で理解したのだった。


・まとめ

近すぎると見えないものがある。

自分で自分の顔が見えないように、人生もがむしゃらに頑張っているときは大事なものが見えてこない。

人生を休み、遠くから眺めてみることで、忘れていたものや大切なことに気付くことができた。(気がする)

自殺大国日本では、「疲れた」と言って死んでしまう人が沢山いるけれど、人生だって休んでいいのだ。エヴァの碇くんは「逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ」と自分を追い込んでいた時期があったけれど、逃げることと休むことは違うのだ。

疲れたら休む、休むときは果てしなく自分を褒めてあげる。


怠けるということではなく、魂の望む生き方とはどういうことか、道の一つを、人生をかけてつくってみせるのだ。

ということで、明日また面接してきます……(トホホ)。

















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