本音
今まで立派なことを書いてきたけれど、
あれは嘘だ。
いや嘘ではないのだけれど、本音とは少し違うから、赤裸々な告白をさせてほしい。
最近、ここに何を書くか悩み手が止まっていた。
自分が表現したいものは何か、分からなくなってしまったのだ。
そもそも、このnoteという場所に投稿を始めたのも、自分の意志というより占い師がきっかけだった。
昨年末、可もなく不可もない一年が終わってしまい、そして無闇にまた一年が来るのかと思うと、絶望した。(二、三年くらい何もない無の年があってもいいのに)
そこで、おみくじ的意味合いで占い師に訊ねると
「SNSで、エッセイや若者の共感を集める詩などを書いて発信するとよいです」
と言われたので、これを始めたのである。
はじめは、エッセイや過去を振り返る内容のものを書き、次に人生観や生き方について書いた。
でも思ったのだ、過去や経験を振り返っても仕方がないと。
大切なものだから、書いて形に残したいと思っていたのだが、完成するとどうでもよくなってしまった。
それに人生観、これは確かに経験から見つけ出したものだが、私の考えかというとそれも違う。
「すごいおもしろい考え方をするんだね」と言われたことがあるが、別に私が考えたわけではないのだ。
他の記事でも書いたことがあるが、全てのものには真実の姿があり、現実にあるのはその似像に過ぎない、イデアという哲学の考え方がある。
私はそのイデアを見つけただけで、言葉で表現したそれは私のものではない。
だから、書いたものが評価されるほど、自分の無価値感に悩まされる。
それと、「こうするとよりよく生きられる」というのが分かっていても、自分でほとんど実行できていない。
本性は、ビルとビルの隙間にある暗がりのようなもので、一生太陽の光が当たることはないし、僅かに見える空の青さすら私には眩しすぎる。
毎日一生懸命息を吸って、一生懸命息を吐いて、一生懸命起きて寝るだけで精一杯。いつも立派なことを偉そうに書いているが、それは私の姿ではない。
生きるのはどうしてこうも苦しく難しいのか、そればかり考えている。
ニュースやら他人のことなど、いずれ移り変わるものにてんで興味が湧かず、またいずれ老いて失われる自分の能力にも興味が無い。
変わらないのは、いつも自分はここにあるということのみ。
だから自分の内側にあるものにしか興味が無いのだが、自分の内側にも何も無い。
まるで魚のいない池を覗いているようで、今見えるあれは底なのか、それとも浮いた泥なのかをただ考え続けている。
こんなことだから、いつも無気力で抑鬱的である。
・いいねじゃない
いいねが増えたら、何も無い自分にも価値が生まれるのかと思っていた。
でも、いいねやフォローはただの感想であって、価値の指標ではなかった。
他人が何を思おうと、良くも悪くも私には何の意味も無い。
自分が買った本に、いつの間にか大量の付箋が貼られていたような感覚で、逆に恐ろしい(い)ねという気持ちである。
何かを言葉にしても私に価値が生まれるでもなく、いいねされても価値が生まれるわけではないのなら、一体どうしたらいいというのだ。
というわけで、noteには何を書けばいいのか分からなくなってしまった。
・はじめてのフォロワー
彼は、はじめてフォローしてくれた方である。
生き方や考え方はあまりにも違うので、共感するわけではないのだが、「こういう見方や表現の仕方もあるのか」といつも興味深く拝読している。
今こうして書くことに悩んでいても、彼の投稿を見ると初心に戻れるので、いつも感謝しているから紹介する。
彼が毎日がんばって投稿しているのを見ると、「私もただ悩んでいないで、書いてみようかな」という気が湧いてきて、とても勇気づけられるのだ。
と、ここまで内心をただ書き連ねてみた。
吐き出したら、少しすっきりした。
それでも私は、これからどうしたらいいか分からないし、noteとどう付き合えばいいのかも分からない。
けれど、自分の内面を探るためにこれからも、感じたことや考え方を言葉にして表現していきたいと思う。
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