大人としての生き方

人は20歳で人生の半分を終えている。

5歳の一年と50歳の一年では、時計などではかる客観的な時間は同じだが、体感時間は5分の1と50分の1では大きく違う。

時間の長さに対する体感は年齢の逆数と比例する、という考え方を「ジャネーの法則」といい、それによると体感的には20歳が人生の半分だそうである。

昨日、筆者が20歳になり成人したので、今回は大人としての生き方について考えてみる。



まず、大人になって得るものはなんだろう。

酒、金、自由(と責任)。

大人にしかできないことはなんだろうと考えていたが、それらは社会的要因からくるものに過ぎず、ゲームのように能力値が上昇したり特殊アイテムが空から降ってきたりすることはないらしい。

そもそも、大人という定義も社会が決めたものであって、全ては生まれたときからの延長線なのだ。

学校を卒業することや就職などを人生の「区切り」や「リセット」と捉える人は多いけれど、社会の中で自分がどこにいようとも、昔も今も全ては繋がっている。

素直な人を「子供っぽい」と揶揄したり、マナーや立ち振る舞いが云々とか、「年相応」の格好が云々など、「大人に変わる」変身のようなものを求めたり求められたりする場が時と共に増えていくけれど、必ずしも変わる必要のあるものは何も無い

自分のために社会が用意してくれた変化の場はあっても、それを拒む権利もある。

自分の人生なのだから。



なにより、変わらないものは逆に武器にもなる。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

(現代訳) 川の流れは絶えることはなく、それでいてそこを流れる水は、同じもとの水ではない。川のよどみに浮かぶ水の泡は、一方では消え、また一方ではできて、そのまま長くとどまっている例はない。世の中に生きている人とその人たちの住処もまた、ちょうどこの川の流れや水の泡のようなものである。


「方丈記」の一節で、仏教の根本思想である無常観をあらわしている。

「全ては変化していて、やがて滅んでいく」という思想で、我々は無意識にそれを知覚しているから、「寂しさ」を常に抱えているのではないだろうか。


「好かれる人は、信じられるものを持っている」

おバカキャラで人気になった芸能人が、ビーガンやフェミニズムをかじり始めてテレビに出なくなったとか、お笑い芸人が闇営業をやっていたので芸能界から追放されたとか、そういうのは人々が「裏切られた」という感覚を持つことで起こっている。

人が信じているのは、「変わらないもの」だ。

子供らしさや、素直さなど、はじめに持っていたものを変わらず持っている人が好かれるのである。

先に挙げた芸能人の例では、おバカ=子供っぽいが、意識高い=大人っぽいことをすることで裏切られた。お笑い=光 プラスのものが、闇営業=闇 マイナスなことで打ち消されてしまったのだ。


もしも、大人になったあなたが「アニメやプラモが好き」とか、「夜は人形を抱いて寝ている」とか、子供っぽい面があったとしても恥じる必要はない。

むしろそれを誇りに思い、積極的にアピールし利用することだ。

(たとえばTwitterの有名人はプリキュア、マイメロなどの子供っぽいもの好きアピールか、金、美貌、性愛などの根源的欲求のアピールなどでできている)


 

一方で、大人になると失うものはなんだろう。

全ての人が等しく失うもの。それは若さである。

特に女性は若さに価値があるとされ、生物的に魅力な10代はJC、JKとブランド付けされ持て囃される。

老いは無情にも若さを奪っていくので、エステやら高額な美容グッズで抗おうとするが、それも短き命。いずれは全てを失い死んでいく。


それならば、今ある肉体を遊園地のようなものと考える。

「このアトラクションはいずれ老朽化するからつまらない」と思うだろうか?全てのショーが見られなかったから、今日はつまらなかったと思うだろうか?

二度とこないかもしれないし、全力で楽しもう。これとそのアトラクションに乗れたから満足だ、と思う人がほとんどのはずである。

若さや能力も同じ。

今あるものを愛おしみ、全力で生きること。

今からでも悔いのない日々を送れたのなら、執着は薄れていくだろう。

今日が一番若く、一番美しいのだから。



最後に、大人だから価値のあるものを考えてみる。

大人だからいいもの、それは経験である。

「今の記憶を持ったまま学生に戻りたい」と嘆く人がいるが、若さとは未熟さである。

「老成」という言葉にはある種の皮肉が込められていることを、あなたは知っているだろうか。


雨だれ石を穿ち、歳月は人に個性をもたらす。

つまらない毎日であっても、みんなと同じことしかしなくても、時が魅力を引き出してくれる。

生きてきた道、人生そのものが武器となり、自分だけの個性になるのだ。

社会の中、集団の中で物事を考えない。自分の中で、長い目で物事を考えること。


大人になると、経験したことが増えて日々に新鮮味がなくなっていく。

はじめに紹介したジャネーの法則でも、経験が体感時間(老い)を加速させる一因であると述べられている。

優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦きょうだを却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る。

サミエル・ウルマン「青春の詩」の一説である。

先人たちが言うには、体の老いと心の老いは違うらしい。


子どもの頃は、何も知らないから全てが新しかった。

大人になると、いろんなことを経験して、やっていない知らないことのほうが少なくなくなっていく。それでもなお、新しいことを探し挑戦すること。

その姿勢こそが、若さの秘訣であり、大人の魅力でもあるのだ。




これからも、苦しみと孤独が待っているだろう。

それでも、大人になるって素晴らしいことなんだと、私が証明してみせる。




















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