正しさとは
「社員の愚痴を聞くのは、給料に入ってませんよね」
と言ったらクビになった。
昨年、社員一人、アルバイト私一人の職場で、朝も晩も毎日「私がこんな所で働いてるのは社会が悪い」「仕事だるいウザイ」という愚痴を聞き続け、耐えきれなくなって言い返したらクビになった。
「死ねボケ、嫌いやわ!!」
関西出身の人だから言葉がきついのは仕方がないけれど、あんなに沢山愚痴を聞いてあげたのに、一緒に毎日仕事して遊びにだって行ったのに、全てが無かったことになった気がして悲しかった。
社長に
「私だって嫌なことや辛いこと沢山あるの、でも我慢してやってるの。私だって我慢してるんだから、あなたも我慢しなさい」
と言われ、
「自分がやってるからといって、他人にも押しつけるのは違うと思います」
と言い返すと、社長にも
「逃げた!愚か者!」
と怒って石を投げられてしまった。
言ったことは後悔していない。
そもそも人の負の感情を受けることは大変なことで、カウンセリングだって50分6000~10000円とるのに、仕事もし 愚痴も聞く私の給料は851円だ。
このことを知人に話すと、
「まるで、グレタさんみたいだね」と言われた。
グレタさんとは、昨年「How dare you!(よくもそんなことを」で話題になった、若き環境活動家である。
「グレタさんも、君も、環境だったり一部のことではそれが正しいのだけれど、社会を成り立たせるのはまた別の問題なのだよ」
それでも、自分の主張を貫ける君が羨ましいと知人は笑った。
TwitterやマストドンなどのSNSでも、毎日のように
「サービス残業や休憩時間にやる研修は違憲」
というような、労働環境や社会に物申す系ツイートがバズっている。
でも、これらもまた、正しいけれど社会を成り立たせるためには間違っているのである。
正義と正義がぶつかったとき、どちらかは悪にならざるを得ない。
私も社長も、どちらも間違ってはいないけれど、力の無い私が悪となった。
SNSで「給料増やせ!」と叫んでいる人も、画面の外では極小さな存在で、社会にとっては悪なのである。
自分で考えて、自分で立って、自分で道を切り開く時代になって、人はバーチャルな幻想と自己啓発に縋り付くようになってしまった。
ウルトラマンやプリキュアだって誰かにとっては悪なのだから、この世に悪が生まれないように、もはや全てのヒーローをこの手で殺してしまいたい。
現実で悪が生まれないようにするには、今あるがままを受け止めればいい。
でも、それならいじめだったり苦しみや理不尽をただ受け続ければいいのかというと、それも違う。
世の中には、愚痴を言いつつも変われない 今の環境に縋り付く人と、愚痴を言われつつ流動し 自分に合う場所を求めさすらう人の二種類がいる。
どちらがいいとは言わない、どちらも正しいのだから。
でも私は、雲のように柔らかく、常に流れる人でありたい。
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