家族の距離感
先日、祖母から来たLINEを無視していたら「なんで返事しないのよ!」と、メンヘラ彼女みたいな怒りの電話がきた。
家族、人の距離感とはなんだろうと思ったので、まとめてみる。
・家族だからといって、常に親密である必要はない
原点にして頂点、家族との関係は人間関係の縮図だ。
家庭内を征するものは、人間関係を征す。
逆に言うと、家庭内で不仲な人は友だちも会社の同僚とも上手くいかない。
家族仲が上手くいかないのは、相手に関心を持ちすぎているからである。
嫁が専業主婦のくせに怠けているとか、お父さんが臭くて嫌いとか、旦那のやることが一々気に触るとかというのは、相手に関心を持ちすぎている。
好きの反対は無関心。一番距離が近く、家族としての好意があるからこそ、喧嘩したり大嫌いになったりする。
家族だからといって、常に仲良くする必要はない。
運にもいい時わるい時があるように、出会いがあれば別れがあるように、寄せては返す波のように、人間の気分にも波があるし、人間関係にも波がある。
新婚のベタベタがいつまでも続かないように、「ママー」とか「おばあちゃーん」と言っている時間はいつか終わる。
気が向いたときに寄っていって、一人になりたいときなどは離れていく。
磁石はくっついたらそのままだが、離れてもいいのが人間である。
・祖母の例
人は、赤ちゃんのころは母親との関係しかなくて(依存)、大人になると社会と繋がりを持ち親とは疎遠になっていく(自立)。
自立するとは、依存先を増やすことである。
祖母は友だちがいなくて、相手にしてくれるのが子と孫しかいないような孤独な老人である。
そこで「孫がLINE返してくれなくて、悲しいのよ」「私も!」と友だちと愚痴るのが、大人のあり方。
「連絡よこせー」「たいせつにしろー」と訴えるのは、家族に依存しているから。
生きるとは、人間関係を育むことである。
依存先を増やすとは、人間関係を育むことだ。
「強くなりたい」と口癖のように言う人がいるが、
強くなるとは他人を拒絶しないことだ。
何日も家に閉じこもってテレビしかやることなくて、唯一の人間関係である家族にまで連絡をもらえないようじゃ、生きているっていえるだろうか?
祖母の場合だと、孫から返事がこない→寂しい→じゃあ友だちに愚痴るとか老人クラブに入ろうとか、孤独を癒す方法を別の道から探すことが健全な大人のあり方である。
・友も恋人もまた然り
若い女性に多いのだが、「彼氏から、もう一時間も連絡こない!」「別れてやる!腕切ってやる!」と、ちょっと連絡がこないだけで不安になり相手の愛情を疑う人がいる。
恋人も友だちも、関係には波がある。
仕事だとか別の友人だとか、関心を向けるべきものは沢山あって、人には一つのことだけを見ている余裕はない。
恋人や友だちから連絡がこないとき、相手の愛情を疑うのではなく別の友だちや親しい人と話してみる。
そうすればきっと、お互いの心が楽になるはずだ。
・SNSの心地よさ
TwitterやInstagramのいいところは、自分の気が向いたときだけ人と繋がれるところである。
近年SNS依存性やネットいじめなどが騒がれているが、そういう人はリアルで親しい人がいない=人間関係依存性である。リアルに友だちが沢山いるとか、趣味が充実している人は、SNSにも依存しない。
リア友と会えないときはネッ友とおしゃべりするのは、「ネットは怖いものだ!」と偏見で避けリアルだけに拘る人よりも理にかなっている。
いつでも連絡をとれるようになった今の時代、揉め事が増える要因にもなったが、健全な人間が使えば最高のツールになるのだ。
・全ては波のせい
愛情も友情も好きも嫌いも、全ての物事は波によって起こされている。
お互いの気持ちや意思がよく通じている人を「波長が合う」と言ったりするが、全ての源は波である。
国の栄枯衰退も、人の生死さえも。
それは、人類の祖先が海から陸へ上がったから。
母なる海、生命の源である水の力なのかもしれない。
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