友を信じられるか
他人の心が分かる、というのは幻想である。
あくまで推測に過ぎず、心の機敏の把握・置かれた状況からの分析の結果でしかない。
友だちなりカウンセラーに相談や愚痴を言って、「辛かったね」「こんなことが大変なんだね」と分かってもらえた気になっていても、実際は相手は統計の結果を算出しただけに過ぎず、"よき理解者"としての立場を持つ社会学者なり精神科医などは分析が人より上手いだけである。
友だちや恋人などと一緒にいるとき、相手が笑顔なら「今は楽しいんだ」と分かる。
しかし、あとは何を考えているかは分からない。
「好き」と言っていても本心ではどう思っているか分からないし、「楽しい」と言っても本当の気持ちは本人にしか分からないのだ。
だから恋人らは「わたしと仕事、どっちが大事なの!」と、相手を試しがちなのである。
私が尊敬している、ある女性が言っていた。
「愛と憎しみは同じ性質のものなので、反転することがこわいと思います。
周囲の人は基本的に好きだけれど、この人は何を考えているのか、どういう意図があるのかは常に考えているような気がします」
「好きと嫌いは紙一重」という言葉があるが、好き嫌いも愛と憎しみも同じ性質のものである。
「好きの反対は無関心」とも言うように、好きであっても嫌いであっても相手に関心があるのは同じなのだ。
「可愛さ余って憎さ百倍」と言うとおり、人を好きになると、嫌いになったときの反動も大きい。
人は、好きになると同時に憎んでもいるのだ。
相手を独占したい。自分も愛してもらいたい。裏切ったら許さない。
地球が自転によってN極とS極を持ったように、人の心も常に回転している。
私の尊敬している女性は、人に対し自分の中にとても強い憎しみを持っている。
それに気付かない、いや 見て見ぬふりをしているから常に人を疑って「憎まれるのが怖い」と感じているのである。
進学や就職の度に人間関係をリセットする人がいるが、彼らもまた人を憎んでいる。
「愛だけを与えてくれ」とわがままを言っているのである。
「自分がどう思われているか」「どう見られているか」、「本当に友だちとして好きなのか」「都合がいいから一緒にいるだけなんじゃないか」と怖がっているが、それは相手にも憎しみがあることに気付いていないから。
自分を愛してくれる相手にも、憎しみという感情があるということを認めなければならない。
結婚は相手の過去を受け入れることというが、愛されるということは、相手の憎しみも引き受けるということなのだ。
好きであると同時に嫌われているのだから、「嫌われたらどうしよう」「こんなとこが癪に障ったかしら」と悩むだけ無駄である。
友だちがなぜ、自分と友だちでいてくれるかは、相手のことを信じるしかない。
でも、自分と一緒にいてくれるということは何らかの関心がある、つまり「好き」という感情もあるのは確実なのだ。
相手に好かれている自分がいることに自信を持ちつつ、「嫌い」の感情を持つ自分を許すことが、関係を長続きさせる秘訣である。
自分はこれを知っていても、まだ気付かずに孤独を感じている人もいる。
そういう人には、私は積極的に「こういうところが好きだ」とか「こんなところがいいと思った」とか、好きの感情を積極的に伝えるようにしている。
人の感情は言葉にしないと伝わらない、言葉にしても伝わらないからこそ、「好きだ」と積極的に、大げさに言うのだ。
相手が少しでも、幸せな時間に多くを使えるように。
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