何者にもならなくていい

小さい頃に抱いた、ささいな願望を覚えているだろうか。

たとえば生クリームをボウルいっぱい食べるとか、駄菓子屋のお菓子を買い占めるとか。

それを大人になってからやると、どうだろう。

生クリームは半分も食べられないかもしれないし、駄菓子はすぐ飽きるかもしれない。願望は満たされたけれど、そんなに達成感はなく、少し物悲しさを覚えることも。


それは、夢や情熱も同じである。

この時は「あれになりたい!」とか「こんなことがしたい!」と思っていても、実際に叶えてみると少し違ったりする。

だから、「好きなことは仕事にしちゃいけない」と言われたり、好きだけど何か違うと感じるのである。



小さい頃からやっていた、願っていたものになれた人は幸運である。

昔は、3歳からやっていたスポーツのアスリートになりましたとか、算数の授業で目覚めて数学の先生になりましたとか、早い時期に目標や夢を見つけられた人が羨ましかった。

小中学校では、「将来の夢」とか「目標」とか、「どんな人になりたいか」を作文に沢山書かされて、何者かにならなければいけないんだと思っていた。


学生時代の小さな社会の中では、自分に合った仕事に出会うことは難しい。

宇宙飛行士になりたいと思っていても、ほとんどの人は叶わない。日本人の中ですら、実際に宇宙に行ったことのある人は1.268億人の中の7人しかいない。

ほとんどの人は、なりたいと思ってビジネスマンになったわけではない。


スタンフォード大のビル・デーモン教授が、目的と情熱について調査を行ったことがあるのだが、それによると、調査を受けたうち1つの情熱をもとに人生を設定している人は全体の20%しかいなかった。残りは、「興味があるものはいくつかあるけれど、それが情熱かどうかわからない」「情熱が何かわからない」と答えていた。(『ライフデザイン スタンフォード式最高の人生設計』より抜粋)

情熱や好きなことは、「見つける」というより育てるものである。

「情熱がすべての始まりだ」という考えがまかり通っているが、それができる人は逆に例外なのである。

もともと面白さは、理解することで生まれる。

日々の中や、そんなにやりたくもない仕事のなかで、「どうして?」「なぜ?」と疑問を持つことで情熱は始まる。


やりがいや生きがいは、日々の延長線上にある。

それを見つけたとき、人は自分の生きる意味を知る。

だから何者にもならなくていい。

慌てないで、今はただぼんやりしていてもいいのだ。






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