文系がGoogleフォームで

なんか心理学とか、人文学系?っていうのかちょっと分かんないけど、文系の学生が卒論を書くとき、Googleフォームを使ってアンケートをとって、そのデータを卒論に利用する、みたいなことが結構ある。っぽい。

そんな誰が回答したかもわからないアンケートを論文に使っていいのか!みたいな話はあるんだけど、正直理系で院進しない自分も今やってる卒論は全く褒められたものじゃないので、今日はそれはいいとする。

で、ああいうアンケートがLINEグループとかでよく「卒論に使いたいので、このGoogleアンケートにお答えいただきたいです!」みたいに回ってくる。

内容は大体「あなたはこういう時どうするか?」とか「この絵を見てどう感じるか」とか他には記憶力クイズみたいなのなんだけど、このアンケートに回答するような男になりたい。

このアンケートに答えたところで、回答者は別に何も得られない。1000円分のギフトカードが当たるわけでもないし、ジャンプの読者アンケのように、自分の好きな漫画の掲載順を上げられるみたいなメリットもない。1回3分で終わるようなアンケートではあるけど、実利のないことには3分だって割きたくないのが人間である。

でも、このアンケート形式が少なくとも僕が大学に入学してから今までの数年にわたって採用されている以上、一定数このアンケートに回答している人が確実に存在する。俺はこいつらになりたい。

世の中に「いい人」はたくさんいる。僕が小6の時に電車でゲロを吐き散らかした時にポケットティッシュをくれたOLさんなどがそれにあたる。僕がバイトを寝過ごした時に授業を代行してくれた友達もそうだ。しかし、それらの行為には「いい人」に見られるというメリットが存在している。

助けられておいて↑みたいなことを言うのは良くないけど、「いい人」の「いい人的行動」を見た時、その裏にあるメリットを測ってしまうことは誰しもあることだと思う。特にインターネットばっかり見てる僕やお前らにとって、「偽善」という概念の方が「善」より一般的だ。出来事を斜めから見ることが習慣化しているので(そうでないと、傷つくことがあって、それが恐ろしいから)、本来褒められるべき人を中傷するようなことがよくある。

そこへいくと、人の卒論のGoogleアンケートよ!
素晴らしい。メリットがなさすぎる。そいつが卒論書けようが書けまいが知ったこっちゃないし、なんなら知り合いなら卒論が書けなくて苦しんでるくらいの方がちょっと面白い。アンケートを書いたということが、基本的には作成者に伝わることもないので、恩義を感じられることもない!

人の卒論のGoogleアンケートに回答するような人間は、自分のためでなく、真に人のために行動できるような人間だと思う。僕はそういう男になりたい。

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