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「○○先生の漫画が読めるのは○○だけ!」
1985年スピリッツで「オヤジ高校生」という新連載が始まった
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作者は川三番地先生 デビュー以来講談社の少年マガジン系漫画誌にのみ作品掲載していたので小学館雑誌掲載には驚き 続きを楽しみにしていたのだが…
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連載3話が掲載されず目次ページには「あの」白井勝也編集長の怒りのコメントが
「一人の愚かな作家と、本誌は連載2回目にして決別しました。愛読されていた方には、
大変申し訳ありませんでしたが、それに倍する作品として特別カスタムに石坂啓氏を
迎えました。
スピリッツは、あくまで強く、激しく、燃えていきます。
外は、そろそろ冷たい風が吹き始めますが、熱風あふれる誌面は永遠に健在です。<S>」
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当時川三番地先生は週刊少年マガジンに「気ままにスクラム」を連載 突然他社の連載を始め講談社の逆鱗に触れたのでは?マガジンの連載もコミックス2巻分で終了(打ち切り?)講談社の連載もなくなり(ボンボン掲載のヒーロー物前後編のみ)干されたと思ったが翌年秋田書店週刊少年チャンピオンに原作七三太朗先生(あのちばてつや ちばあきお先生の弟!)と組んだ「4P田中くん」を連載開始し大ヒット!90年に講談社帰還!月刊少年マガジンに「風光る」96年週刊少年マガジン「Dreams」連載と長期連載の大ヒット連発!野球マンガの第一人者に!(めでたしめでたし、かな?)
ちなみに90年スピリッツにあの「湾岸ミッドナイト」が短期集中連載スタートしたのですが もちろん楠みちはる先生は講談社の看板!この事件が影響しているのでは?(お詫びとして許可した?)