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シャント造設手術の話

人工透析のために必要な結び合わせた血管の事をシャントと呼ぶ。

説明を貼る



血液の人工透析を行う際に、短時間で大量の血液を浄化するための血流量の豊富な血管を確保し、16G程度の留置針を毎回穿刺しなくてはならない。そのために主に腕(利き腕ではない方)の血管に短絡路を増設することがある。人工透析患者については単にこれを「シャントshunt)」という場合が多い。

前腕の動脈と静脈をバイパス(側副路)するように吻合する。これにより動脈血が静脈血管へ直接流入する(左→右シャント)ため静脈血管は次第に怒張し、穿刺しやすい静脈へのアクセスが容易になり、200 mL/min程度の体外循環血流量を十分確保する事ができる。もともと存在する血管を作為的に吻合するため、血管の炎症や閉塞など副作用を併発することもある。また心疾患を合併する患者には心臓への負担がかかることもあり、そのような場合はシャント(短絡)しない非シャントタイプのものも使われる。そのためシャントという言葉は適切ではないので、血液の取り出し口という意味で「ブラッドアクセス」という言葉が用いられていたが、バスキュラーアクセスVascular access; VA)と言うほうが正式である。




との事だが読んでも難しいと思う。
とにかく血管を縫い合わせる手術を受けないと効率の良い透析は受けられない、ということだ。

効率が良くなってやっと週3日、一回に4時間というのが一般的な水準で私の場合は少し体が大きいので5時間ということになる。
シャントを作らなければ血液循環に時間がかかって仕方ないし、病院も受け入れないだろう。


腎臓が弱ってきたある段階で「これは近いうちに透析が必要になる」と告げられ、ちょっと早めに医師からシャント造設手術を提案されるのが一般的で、大病院の腎臓内科はそのあたりまで面倒を見て、透析クリニック送りにしてしまえばもう仕事は終わりである。
これが透析ビジネスのパッケージだ。
透析クリニックに患者を紹介してくれた紹介料が大病院の医師に対して払われるのだろうか。
邪推せざるを得ない状況証拠があまりに多い。


入院日は2020/3/22(日)だった。

国立国際医療研究センター。

タクシーを呼んでもらって知人の介助で病院に到着、日曜なので表門は開いていない、入院の手続きのために時間外入り口から、病室に通された。
もちろん車椅子だ。

怖くはなかった、覚悟はできていた。
入院の予定は4〜5日ということだった。

どうしようもない体調不良からこれで逃れられるのかと希望を持つほど苦しい日々を送っていた。

病院の言うことをほとんど聞いてこなかった自分が、これはこのまま放置すると体調不良で死ぬな、透析拒否できないな、とこのときは素直におもった。
もう腎機能が既に相当弱ってしまっていてほとんど食事という食事を食べられなくなっていた。
出された病院食も戻してしまった。
水が溜まって息苦しいので、
喘息か、血管が切れるのではないかと思うくらい激しく咳込む有様だ。




翌3/23(月)昼前だったか、腎臓内科と心臓血管外科が協議してシャントの造設手術を行う段取りだった。

よりによってその手術直前にまたどうしようもない体調不良が襲ってきた。
病院食でダメージを受けていたのだろう、朝食がとどめとなったようだ、
手術を中止(延期)にしてもらえないかと申し出た。
これは怖くて言ったのではなくじっとしていられない、のたうち回るのは良くない、手術台の上でも我慢できるかわからない、
という事を訴えたのだが、そんなに長い手術ではないからもうやってしまいましょう、頑張りましょうと丸め込まれてしまった。


たしかにやらないといつまでも苦しいままだ。
難しい判断だ。
しかし様子を見ても良かったと思う。

手術室に運ばれ、パルスオキシメーター、血圧計、心電図など装着され手術する左腕は消毒液を塗る。


麻酔を施したが「痛かったら言ってくださいね」とメスを入れる前にきちんと言われた。


──手術が始まった。


長い。

熱い。

汗が拭えない。

息ができない。


そして医師も苦戦してるのがわかった。


医師が研修医みたいな人にエラそうに説明するのもまる聞こえ、
コロナの医療従事者の給付金がどうなるとか、
イタリアでは救えない命にもう諦めてくださいって言うんだって!とか、
そんな世間話までまる聞こえだった。
当たり前じゃないか、局所麻酔なんだから。
デリカシーとかこの人たちは何もないんだなと思った。


それにしても長い。



麻酔が切れてきた、痛いですと言っても麻酔は追加されなかった。
そのあたりで計器が異変を示した、パルスオキシメーターの酸素濃度の値が70%とか異常に低い数値を示したのだ。
健康な人は通常98%くらいないといけない。
手術中の容態急変ということで大騒ぎになった。
若い医師にはそんなのはあまり経験のない事だったかもしれない。

だから体調悪いって言ったのに。


「もうちょっとで終わるから、がんばって!」
と麻酔も追加せず、痛い痛い!と大声で叫ぶ私をよそに「ゴメンナサイ!」と最後の切断。
バチン!
血管を切る鈍い音がした。

強行された。


どのくらい痛いかといえばその医師に殺意を覚えるほどの激痛で、傷害罪に問いたいくらいです。

ひどい目に遭った。

もう二度とシャントの手術はイヤだ。


そこから血管を縫合して最後、皮膚まで縫い合わせるのにトータルで2時間は越えていたと思う。
すぐ終わるってウソじゃないか汗


「終わりましたよいいシャントができましたよ。」
と言われたがこちらは意識朦朧、まともに反応できない。

そして酸素濃度が低い異常を検査しなくちゃいけないからMRIの画像診断をやりましょうということになった。
体温も38℃の高熱でフラフラだったし危険な状態だったと思う。

言い忘れたがこのとき私は肺に水が溜まり横になれない状態だった。
横に寝た状態でMRIも撮れない、
が撮らないと診断しようがないとの事で医師も困っていた、私も困った。
利尿剤を飲んで溜まってる水を出せばまだ多少楽になると思うからいつもの利尿剤を出してくれと訴えたのだがどういう異常かわからない状態で利尿剤は出せないと断られ、MRIを待つことになった。


待つというのはあまりに苦しいので状態が少し良くなるまで30分だけ待ってくれ、と申し出て、なんとか通ったということだ。


そしてMRIの撮影も本来30分近くかかるものをなんとか10分くらいで頑張って撮ってみようという話になった。
症状と気分が落ち着いて撮影したと思うがそれ以上はあまり記憶がない。


診断の結果を後で聞かされたのだがこのとき肺が真っ白になり重度の肺炎を起こしていたらしい。

奇しくもコロナウィルスが流行り始めた頃で私も高熱が出ているのでコロナではないかとか疑われた。

ひととおりの検査のあと完全個室の陰圧室(コロナの病棟)に運ばれた。
隔離ということだ。

陰圧室とは部屋の気圧を下げることで感染の原因となるものを外に出さないような作りになっている。
しっかりした隔離はそうやって行われる。

後でわかったがちょうどその頃コメディアンの志村けん氏が搬送された頃と時を同じくして同じ病院の同じ科にいたことになる。


画像診断の結果、病名がうっ血性心不全。
腎臓が悪くなると水があちこちに溜まる、先程は肺に溜まってと言ったが心臓にも溜まっていたのだ。なんのことはない、予想通り。
だから利尿剤で良かったのだ。


そしてコロナの検査もした、精度が低いので大事を取って2回やるという。
結果が出るまでがやけに長かった。


結果コロナではなく普通の肺炎だったのだが、それでもあまりの高熱でフラフラだった。
普通の肺炎とてこれはナメてはいけない。
今までの人生でこのときが一番命を落とす可能性が高かったと思っている。

判明するまで3日間完全個室の陰圧室にいたのだが、それは呼吸器科の預かりとなった。


コロナではないとわかるとすぐに次のコロナ患者のために部屋を開けなければならない。
四人部屋に移された。
科もそのとき心臓血管外科に戻ったと思う。

しかしラッキーなことに患者が一人もいない。
四人部屋を一人で堂々と使えるのは気持ちよかった、寂しいとかそんなのは全然ない、快適だ。

どうもコロナの流行に伴い、病院に来る患者の数も減ってきていたということらしい。


肺炎を起こしていたので結果として4、5日の予定が倍近く伸びてしまった。
ゆっくりさせてもらった。

退院する前日だったか、昼前の報道番組でニュース速報が流れた。
それはコメディアンの志村けん氏が亡くなったというニュースだった。
えっ!とは思ったがその時はまさか同じ病院であることなど知る由もなかった。

とにかく
痛みのことも
ニュース速報のことも
体調不良のことも
すべて印象的で鮮明にに灼きついている。




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