僕が考えた仮説(痩せる原理)

夏の茹だるさも過ぎ、ほんの少し秋の香りが鼻につく。見直すべきは汝の身体であり、季節の変化に堅牢な肉体をもって伏すことを忌む。

最近、どうも身体が重い。試しに体重計にのると、数値の上昇に対し、ふと踵を浮かしてしまう寂しさ。そう、いつの間にか太っていたのだ。

いや、いつの間にかではない。その予兆は常日頃からあった。みんなと撮る集合写真。久しぶりに会った前職の人から言われる「大きくなりましたねー」という一言(これ京都風に受けとるなら、おそらく「太りましたね」である)。ベットから起き上がる時の重厚感。そういった「兆候」を感じながらも、私はそれをなすがままにしていたこと。川は流れ止まることなし、私は太り止まることなし、自然現象のように取り扱ってきたこと。これらの真実に嘘偽りはない。

取り返しがつかないと気づいたのは、私が「ダンゴムシ事件」と自ら命名した事件である。みんなと楽しく話した飲み会。集合写真をパシャリ。あとで共有される写真。ふと見るとそこに一匹の虫がいた(毒虫ではないので、カフカ的な重苦しさはないが)。「巨大なダンゴムシ…」そう呟いた2秒後に、私はそれを自分であると認識したのだ。

ビジネスでも人生でも、不穏な兆候を見逃すことで、いずれそれはシンドロームとなり、慢性的な病に至る。そういう意味で、私はすでに侵されていたのだ。

仮説

まず、事実から話そう。

私は3年前。そう、この東京に引っ越してきたとき、少なくとも「痩せてるけど大丈夫?」と多少心配されるくらいには痩せていた。

それがいまは「大きくなったね」である。

事実を述べよう。12kgの上昇だ。

12kgについて考えよう。今は亡き実家の愛猫、スコティッシュフォールドの彼、名前はナポレオン・ボナパルト、通称「ボナ」。彼の体重はちょうど6kgくらいだった。彼の体躯もなかなかだが、少なくとも私はボナ2匹分の有機体を、この3年で蓄えてきたことになる。

別軸から考えよう。そこのあなたがスーパーで買う鶏肉。おそらく1パッケージは300g程度で小分けされているはずだ(ところで、私は少し多めの400g程度を購入し、それを1日で平らげるのだが、いまはどうでもよいことだ)。単純計算で、だいたい小分けにされた鶏肉、40個ぶんが、身体についたと考えてもらえると良い。

なかなか含蓄深い増えかたである。

原因を探ろう。3年前といまの違いはなんだ。食事か?ノンノン。期待したそこの方、食生活は、ほぼ変わっていない。むしろ健康的になったくらいだ。

ではなんだろう?私の第2の故郷とも言える関西を離れたことか?寂しさはあるだろうが、たぶんそれは原因ではない。というのも東京も普通に好きだから。

一つ一つ原因を解き明かしていったとき、そこに一筋の光が射し込んだ。リモート勤務。この甘美な響きとともにワクワクしたあの日。私は外に出る機会が極端に減った。

特に出勤がなくなったこと。当時は渋谷まで電車、そこから15分ほど歩いて、計30分、往復1時間の出勤があった。思えば、リモートになってから極端に体重が増えたのは確かだ。定期健康診断、侮るなかれ。

というわけで、私はリモートが原因だという「仮説」に至ったわけだ。この仮説を同僚に話したところ「代謝だってw」と軽くいなされたが、笑いたければ笑えばいい。というのも、私はこの仮説に至ったことから、であれば、と、全日出勤をはじめたからだ。

現職の出勤時間は、だいたい前職の2倍である。2倍ということは、それだけ前職よりも出勤の効果が高いと言うことだ。また、山手線に乗っている方なら分かると思うが、渋谷から恵比寿方面の揺れはなかなかクレイジーである。あの区間は、生半可な足腰と腹筋では乗り越えることができない(そして、それを毎日続けるというのだから)。

ボッカチオの『デカメロン』はペスト流行のために、優雅な貴族が別荘に移り、小噺を嗜む(その小噺がメイン)というストーリーだったが、私はいつの間にか貴族の側でなく、小噺に出てくる滑稽な登場人物のような人生を送っていた。これで痩せるかは分からないが、痩せる確信はある。(次回へ続く)


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