奉仕という名のエゴ
立場上、サークル関連で人の為と思って行動をすることが少なからずある。
例えば、舞台数が見るからに足りず能力が高まっていない後輩のためにと思い、ライブを組むことがあったりする。または界隈のためにと思い合同ライブを企画したり大会を開いたりしている。
でもこれらは、自分自身がこうあって欲しいというエゴを人に押し付けているだけなのではないか?と考えるようになった。自分から見てあまり良い環境に無いと思っている人でも、当人からしてみたら今の環境で十分であり、それ以上何かを求めてもいないということがある。なのにも関わらず私は、その人に対して「本当はもっと頑張りたいんだろうな」とか「恵まれていないから可哀想」とか勝手な印象を心の奥底で抱き奉仕という名のエゴを押し付けてきた。
それぞれに価値観があるということは、これまでのnoteにも書いているのだが、それを本当の意味で理解をするにはまだ自分は若すぎるのだと思う。塾講師バイトをしている時に、英国担当であったので英国が苦手な生徒に対してやたらと英国の勉強を押し付け解説をしたりしていたことがある。当時はその子のためと本気で思ってそうしていたが、もしかしたらその生徒は意図的に英国という教科を捨て他の事柄に力を入れようとしていたのかもしれないとふと我に帰る。話が逸れるようだが、教職課程を履修しているものを見る時「子供のためになりたい」とかいう理想論を語り、自分がいいと思うことを無理矢理にでも押し付けようとするような意識を持っているものが多い。そういう人間を見た時にやっと自分自身の愚かさに気づき、奉仕という名のエゴを押し付けていたことに気がついたのだ。
当然、人の為に動くことは悪いことでは無いしむしろ褒められることとも思う。一方で、その裏側にある自分のエゴの押し付けというものに気づかずにいるのはあまりにも危険であるというように思う。今一度、自分自身に問いかけ自制していきたいところである。
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