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「アベノミクス」という支配の技法――安倍政権とは何者か(第4回/最終回)

「アベノミクス」という支配の技法

安倍政権の「非常識」な支配が、必ずしも安倍総理の「性格」からだけではなく、不安定化していくなかで生じてくる日本社会の危機(クライシス)に対処していくなかから生まれたことが明らかになってきました。
では安倍政権はこの危機に、どのように対処したのでしょうか。

先にも論じたように、現代政治における「支配」は、暴力や強制だけではできません。もちろん安倍政権は、NHK会長に都合のいい人物を送り込んだりもしましたが、かといってデモ隊に銃をむけたり、気に入らない人物を牢屋に閉じ込めるといったことはあまりやりませんでした。むしろそのような「支配」は安倍政権においても枝葉であり、根幹はやはり「時間、空間、資源」という現代的な支配でした。

問題はこの現代的な支配でどのように危機に対応したのかにあります。そしてそれは安倍政権の看板政策である「アベノミクス」をたんなる経済政策ではなく、「支配の技法」として捉えることから解き明かすことができます。

アベノミクスとは、「異次元」と呼ばれる大規模な金融緩和と、日銀による大規模な国債の買い入れ、そして大規模な公共事業投資により、市場に大量の金を放出し、経済を活性化させるという経済成長戦略です。これは財政支出を削減し、規制緩和を推進することで民間市場を活性化させるという小泉構造改革の経済成長戦略とは大きく異なります。
第1次安倍政権は小泉構造改革をそのまま継承したスローガンを掲げていましたが、リーマンショックによる世界経済危機と世論の構造改革への反発がもたらした「政権交代」という危機をうけ、第2次政権では異なる戦略を採用せざるを得なかったのです。
むしろ安倍政権は、2020年開催の東京五輪、2025年開催の大阪万博といった、高度経済成長期の日本を象徴するイベントを誘致し、それを成長戦略の「目標」に設定し、中高年層の「豊かな日本」のノスタルジックな感情を動員することで、小泉構造改革の印象を遠ざけようとさえしています。

しかしながら「アベノミクス」は高度経済成長期の自民党政権の経済政策とは著しく異なります。
当時の日本経済は、日米安全保障体制のもと、繁栄を誇るアメリカにより貿易自由化を猶予されており、その「安保の器」のなかで製造業を育成し、輸出主導型の経済成長を果たしました。自民党政権はこの経済成長から得られる富を分配することで、政権を安定化させたのです。この時代はまた、鉄鋼労連をはじめとする製造業部門、国労や自治労をはじめとする公共部門の労働組合が強い力をもっていました。ですから「資本と労働」の間である程度富と権力が分かち合われていたのです。

しかしいまや製造業は衰退し、グローバル化のもとで貿易自由化がすすみ、経済成長は止まりました。製造業の衰退と公共部門の削減は、労働組合の力を劇的に弱めてしまいました。
代わりに民間サービス部門の雇用が拡大することで、非正規雇用が増大し、安定的な雇用環境は失われていっています。
ですから、リーマンショックに端を発した世界経済危機は、日本の産業・雇用構造がここ数十年で劇的に変化したことをはっきりと目にみえるようにしたのです。

【CC by jodone e, taken on September 16, 2008】

そしてこの経済危機は、小泉政権下でわが世の春を謳歌していた新自由主義的な言論に大きな打撃を与えました。

2008年、竹中平蔵とともに小泉構造改革のブレーンを務めていた経済学者中谷巌は、著書『資本主義はなぜ自壊したのか――「日本」再生への提言』(集英社インターナショナル)を上梓し、新自由主義を徹底的に批判する側に「転向」しました。2007年に出版され、僕も翻訳に携わった、デヴィッド・ハーヴェイ著『新自由主義――その歴史的展開と現在』(作品社)の読者層の多くは、大企業のサラリーマンや経営者でした。論壇からは自由競争と規制緩和を礼賛する声は消え、格差・貧困に焦点をあてた主張が誌面を覆うようになりました。

そしてそれまで、小泉政権と「どちらがより新自由主義的か」を競っていた民主党も、「貧困・格差問題」に焦点をあて、新自由主義批判に「転向」することで、政権奪取の道へと歩みをすすめたのです(ちなみに政権交代直後、鳩山総理はデヴィッド・ハーヴェイの『新自由主義』を本屋で購入していました。読んだのかどうかは知りませんが)。

「時間かせぎ」をする安倍政権

もはや小泉構造改革をそのままつづけるのでは支配できない。かといって、高度経済成長下のような経済的条件はもはやない。
そこで第2次安倍政権が採用したのが「時間かせぎ」でした。

「時間かせぎ」とは何か。

ドイツの社会学者ヴォルフガング・シュトレークは、高度成長が終わり、低成長段階に入った1970年代以後の先進資本主義国家は、貨幣の力を借りることで、目前の出来事を先延ばしにし、その間に何とか解決を図ろうとしてきたと論じます。1970年代以後に採用されてきたさまざまな金融・財政政策――インフレ抑制、国家の債務増大、民間信用市場の拡大、中央銀行による国家と銀行の債務買い取り――は、「戦後の民主主義的資本主義の危機を、時間を買うことによって先送りし、引き延ばすための方策」であるとシュトレークは断じます。

これはわたしたちのような一般人でいえば「借り換え」になります。収入が得られず生活に行き詰まったら借金をする。返済期間がきたらより高いローンに借り換えて当座をしのぐ。しかし負債はどんどん膨らんでいくという泥沼の世界です。
しかし国家は権力を持っていますので、貨幣を増発し、規制緩和により民間の「貸し手」を増やすことで、負債がどんどん膨らんでも一般人に比べたらはるかに「借り換え」が容易です。国家の信用を盾に貨幣を増発し、「借り換え」をすることで危機を先送りし、権力を維持する。この支配の手法を徹底させたのが、安倍政権なのです。

「アベノミクス」とはいまの経済構造がもたらす危機を、金融緩和と財政出動により当座回避するというものにほかなりません。そして「雇用が安定し、生活が向上している」かのような「みせかけ」を演出していきます。
安倍総理は失業率の低さと、有効求人倍率の高さを誇っていますが、その内実は民間サービス部門における非正規雇用を増大したにすぎません。
バブル期以来の高い株価を誇りますが、その内実は政府の資金を投入することで支えるというものです。
さらに財政推計や所得統計の「粉飾」にまで手を出し、2018年には日本銀行が政府のGDP(国内総生産)の統計数値に疑義をはさみ、元データの提出を求めるという事態にまで及び、2019年に入ると厚生省の勤労統計が長年にわたり改ざんされていたことが発覚し、政府の基幹的統計の信頼が完全に失墜しています。

《ピーテル・ブリューゲル『バベルの塔』(1563年)》

安倍政権はこのように表面的な「安定」を演出することで、社会紛争を緩和し、政権を維持させています。しかしこの「安定」は公正な社会をつくるための改革を先送りし、膨大な財政赤字を生み、未来に負債を先送るものにほかなりません。

安倍政権の「時間の支配」とは、未来に危機を先送りすることで、いまの政権を維持することに全力を注ぐというものです。これは、経済成長と分配により計画的に危機を解消し、政権の安定的持続を図ろうとしていた過去の自民党政権とは大きく異なります。
安倍政権の「資源の支配」とは、国民生活の安定に必要な社会保障費や教育費は抑制し、限られた資源を公共事業や民間投資に集中させ、「国民生活」ではなく「政権」の安定のためだけに活用するというものです。
安倍政権の「空間の支配」とは、権力を維持するために、労働法制改革をはじめとする小泉構造改革の規制緩和路線とTPPをはじめとする貿易自由化路線を継承し、グローバル企業の支持を確保するというものです。

「政治改革」がもたらした条件をフル活用することで与党と官僚を強制支配し、「時間かせぎ」をすることで危機を先送りにし、長期政権をものにしてきた。これが第2次安倍政権の支配の全体像なのです。

「時間かせぎ」の破綻と矛盾

そしてこのような安倍政権の「時間かせぎ」の破綻と矛盾が、2018年頃から一気に噴き出るようになりました。

「アベノミクス」が遺したものは、国民生活の安定と向上ではなく、1000兆円を超える国の借金でした。成長戦略の目玉のひとつであった「原発輸出」は、メーカーの東芝が破綻し、日立が撤退したことで完全に潰えました。

外交でもまた、破綻と矛盾が顕在化しています。
かつては日本経済の成長を支え、もはや過去のものとなりつつある「安保の器」を守るために、安倍政権はトランプ政権にすりより、その代償として新型戦闘機をおよそ3兆円で購入することをはじめとする巨額の武器をアメリカの防衛産業から輸入するはめに陥りました。
東アジア外交についても、ロシアとの北方領土返還交渉では平和条約締結という「目先の成果」の代償に、北方四島を手放さざるを得ない方向にむかっています。朝鮮半島については国内の世論を煽るために北朝鮮のミサイル危機と韓国との対立を煽り、その代償として拉致問題の解決はめどがたたず、朝鮮半島和平プロセスから脱落してしまいました。中国に対しては政権発足当初「中国包囲網」を外交の柱に掲げていましたが、その代償として成長著しい中国が率いる経済圏構築プロセスへの関与が滞り、今頃になって「競争から協調へ」と方針転換せざるを得なくなっています。

わたしたちはいま、安倍政権の全体像が理解できる地点にたっています。しかしクルリと方向を変え、過去から未来に目を転じると、そこには安倍政権の「時間かせぎ」によって積み上げられたがれきがうず高くそびえたっているのです。

【By --SGOvD webmaster (talk) 19:11, 24 July 2006 (UTC) - Own work, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=982469

「新しい政治」をつくるには

なぜこうなってしまったのか。
それはこの四半世紀あまりの間に起きた、日本社会の変化に対応する「新しい政治」がつくれなかったからです。2009年に発足した民主党政権はその希望を担いましたが、またたくまに崩壊し、希望を打ち砕かれた民衆の政治不信が、安倍政権の「時間かせぎ」の支配を許すことになりました。

ただし、一切の希望が打ち砕かれたわけではありませんでした。
いまから振り返れば、3・11後に台頭した社会運動の使命は、日本社会の変化に対応する「新しい政治」をつくりあげることにありました。それはたんに安倍政権に対決するだけではなく、危機を先送りさせず、「いま、ここで」日本社会が抱える課題をつきつけ、その解決を政府に迫るというものでした。

原発、安保法制など、社会運動が掲げる課題はさまざまにありますが、その基調にあるのは「公正で差別のない社会をつくること、アジアと世界の人々の友好を図ること」であり、そこに結集する人々の「つながり」や「姿」は、未来のあるべき日本社会の姿を映し出してきたのです。そして過去の社会運動もまた、時代に制約されつつもそこから解き放たれんとする力学に突き動かされ、わたしたちが活動していく道を切り開いてきました。

《ポール・ゴーギャン『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』(1897~98年)》

わたしたちが「どこにいくのか」を問うためには、まずはわたしたちが「どこから来たのか」を理解し、「過去と未来」を接続していく必要があります。

戦後日本の社会運動は、敗戦の混乱から復興、経済成長による「豊かな社会」、そして「失われた四半世紀」へという日本社会の変容のなかで、「時代の鏡」としてひとつの歴史を紡ぎあげてきたのです。(終)

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