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平成とはなんだったのか――こたつぬこの「社会を変えよう」といわれたら【はじめに】

平成の終わり、嵐の前の静けさ

この本は、平成がちょうど終わる頃に出版されます。世間はどんな雰囲気に包まれているでしょうか。

「新元号」は企業や官公庁のシステムの都合上から、天皇の代替わりの前にすでに発表されています。代替わりの儀式がはじまり、メディアは「平成とはなんだったか」の特集を組み、書店には「平成便乗本」が並び、コンビニにある週刊誌のグラビアは「平成・あの時」を特集しと、それなりにノスタルジックな空気が覆っていることでしょう。
ただ、この「平成の終わり方」は、「昭和の終わり方」を記憶している世代――40代以上――からすると「ずいぶんと静かだな」と感じるのではないでしょうか。

近代の元号は、天皇の代替わりとともに変わってきただけですから、その程度の意味しかないともいえます。でも明治の終わりには夏目漱石の『こころ』に登場する「先生」は「明治の精神の終わり」を告げましたし、大正が終わると漱石の門人芥川龍之介がこの世を去り、彼が遺した「ぼんやりした不安」という言葉は「昭和の暗転」を予告することになりました。

では「昭和の終わり」はどのようなものだったか。
実はこのとき、日本国憲法の制定以後日本社会に定着してきたと思われていた自由や民主主義の価値観が、底の浅いものだったのではないかと思わせるような事態、すなわち「天皇現象」が世の中を席巻したのです。

この「天皇現象」について当時論陣を張っていた政治学者渡辺治は、著書『戦後政治史の中の天皇制』(青木書店、1990年)において、当時の状況を活写しています。少し長いですが引用してみましょう。

日本経済の高度成長が始まる一九六〇年代以降になると、天皇という存在は徐々に意識されなくなった。天皇は、時たま外国の来賓の出迎えや国民体育大会などの行事の際、国民の意識にのぼるだけのものとなったのである。
ところが、八八年九月一九日、天皇の吐血以降、こういう天皇の存在に激変が生じた。それは、文字通り「激変」といえるものであった。久しく不在であった天皇が日本社会に「帰ってきた」のである。新聞は連日、天皇の容体を一面で大々的に報道し、テレビも番組を中断して容体を発表した。広告も天皇の容体を気にして大きく変わり、数百万人にのぼる民衆が各地で天皇の病気回復を祈って「記帳」を行った。秋に予定された祭りやスポーツ大会の中止が相次ぎ、「自粛」という言葉が流行となった。

さらに渡辺は、こうした「天皇現象」は、天皇制に批判的な左翼だけではなく、右翼をも驚かせたと、のちに「日本会議」の幹部になる伊藤哲夫の「感動の声」をとりあげています。

「陛下が吐血された九月十九日以来、その御容体をめぐって、われわれの目の前には、実に尊く感動的な光景が展開された。その壮大な様は、いわゆる『天皇制の復活』を危惧する左翼知識人のみならず、保守を自認する筆者のような者にも、実は大変な驚きであったといわなければならない。……(中略)……壮大なる『国民感情の流れ』。筆者の念頭にはこんな言葉が思い浮かんだ。たしかに、それは大きな『感情の流れ』であった。新憲法の制定とともに、既に完全に消え果てたと思われていた『天皇を思い慕う』国民意識が、まさにこうした壮大な『感情の流れ』となって、ここに蘇ったのである。」

左翼が驚嘆し、右翼が感動した「天皇現象」。「昭和の終わり」はこの動員と騒乱の一大ムーブメントに覆われていたのです。

《1946年11月3日、日本国憲法に署名する昭和天皇》

高校生だった僕は、昭和天皇の大喪の礼が行われた1989年2月24日に、東京都内を自転車でみてまわりました。メディアでは一切の「社会行動」は消されていましたが、書店に行けば当時まだたくさんあったリベラル・左翼系の雑誌は「昭和天皇の戦争責任」を問うキャンペーンを張り、世間の空気に果敢に抵抗していました。都内全域に敷かれた検問をくぐりぬけて吉祥寺の井の頭公園に行くと、数千人の天皇制批判の集会がおこなわれており、渋谷では昭和天皇の戦争責任を問うデモ隊と、重武装した機動隊の一群が衝突していたのをみた記憶があります。
ただ当時は繁栄を謳歌したバブル経済の末期でもあります。都内を自転車でめぐっていると、「右と左のやたら真剣な風景」と「そんなのそっちのけな風景」とのコントラストがはっきりしていたのも印象深かった。当時ブームになっていたレンタルビデオ屋のビデオが空っぽになるほど、「天皇現象」一色のメディアに飽き飽きしていた人々がたくさんいたのもまた事実です。

この「昭和の終わり」における「天皇現象」をあらためて振り返ってみると、「平成の終わり」と違うことが少なくともふたつあります。

ひとつは、「右」も「左」も、そして僕も、天皇にこんなに存在感があったことに驚いたことです。逆にいえばそれまでは、天皇の存在感は日本社会のなかで希薄だったということです。
平成の時代の天皇は、メディアにどんどん露出し、慰霊と震災復興祈願を軸にした「リベラルな天皇像」を演出し、第二次安倍政権以後は政権に異を唱えるような発言を繰り返していきました。このようにして平成天皇は、昭和天皇よりも存在感を増していったのです。ただしその存在感は、昭和天皇の「大元帥」としての存在感ではなく、2016年8月8日に天皇の「お気持ち」表明のビデオメッセージが公開されたときに、ツイッター上にあふれた若者たちの「可愛いおじいちゃん」というつぶやきにあらわれているような「存在感」でした。
ですから、「天皇現象」に驚嘆し、あるいは感動し、「天皇制の復活」に警戒あるいは期待した「左」も「右」も、平成天皇には肩透かしをくらうことになりました。そしてそのような「存在感」を増した平成天皇ですから、あの「昭和の終わり」の動員と喧騒の「天皇現象」をふたたび繰り返したくはなかった。「右」が望むような「天皇制の復活」はゴメンだ。だから生前にさっさと退位をすることで「静かなる改元」を果たそうとしたのです。

もうひとつ。「昭和の終わり」には、「天皇」や「元号」の賛否をめぐる対立軸が「昭和天皇の戦争責任」と重なることで活発な論争が行われていました。戦争体験者が現役世代の多数を占めていたこの時代には、立場を問わず「天皇」と「戦争」はリアルなものだったからです。しかも冷戦の崩壊という世界史的な激動と軌を一にしたことで、昭和の終わりは、歴史的な転換点にあたるという時間軸がつくりあげられていきました。

他方で「平成の終わり」には、このような対立軸は影をひそめてしまいました。平成天皇がリベラルなスタンスを示すことで、むしろ右翼の側がその存在感に不満をおぼえ、リベラルな側が親近感をおぼえるという「逆転現象」が生まれていきました。
かくして大した騒乱も動員もなく、「時代の精神」が語られることもなく、「平成の世」はただ静かに過ぎ去っていくのみ。「平成」は「新元号」に上書きされただけで、時間は途切れることなくただ淡々と前へとすすんでいくことになるのでしょうか。

いや、そうはならないし、そうさせはしない。過ぎ去りゆくままにせず、ここで踏みとどまってこの時代について考えてみる。これが、この本の課題です。

《J・W・ウォーターハウス作『ユリシーズとセイレーン』(1891年)》

この「平成という時代」は、いまは輪郭がぼやけてはいるが、のちのちになって本当の姿をあらわすことになるでしょう。ただそれは次代に本格的に噴出することになるさまざまな危機(クライシス)が頭をもたげつつも、それらを一切克服することなく先延ばしした時代として総括されることになるでしょう。「平成の終わり」を覆うこの静けさは、「平成の時代」に次々と登場した危機(クラシシス)を、誰が克服するのかをめぐる嵐のような攻防がはじまる前触れにすぎないのです。

「平成」という名に反するかのように、この時代は終わりに近づけば近づくほど、危機を増殖させていきました。
グローバル資本主義がもたらした危機は2008年のリーマンショックで噴出し、小泉構造改革に端を発する新自由主義の危機は日本社会の「安定」を突き崩しています。アメリカの衰退と東アジア諸国の経済的台頭は日米同盟の危機を招来し、日本外交は迷走しています。2011年の東日本大震災は「複合震災」がもたらす危機をつきつけ、福島原発事故は日本という国を存亡の危機に直面させました。人口減少、地域コミュニティの衰退と、押し寄せる危機は枚挙にいとまがありません。しかも政治はそれにむき合ってはきませんでした。
それどころかこの6年にわたる第2次安倍長期政権は、「戦後民主主義」という国民的な価値観を本格的な危機に陥れています。安倍政権は、このように増殖する危機を解決するどころか、80年代のバブル時代を思わせるような「アベノミクス」、高度経済成長期の上面だけの焼き直しにすぎない「成長戦略」、そして「東京五輪」「大阪万博」と、まるで「平成の次代には繁栄の昭和が来る」かのような幻想を振りまくことで当座をしのごうとしているのです。
ホメロスの『オデュッセイア』に登場する海獣セイレーンの歌声が人心を惑わし船を難破させたように、日本がもうすでにグローバルな荒波のなかを漂流していることに気づかせないようにするこの国の支配層がふりまく幻想は、「平成の終わり」の静けさを演出するのに一役買ったことでしょう。

【CC by midorisyu】

しかしながら、このように増殖していく危機に対して、人々はただ傍観していたわけではありません。「平成の時代」のもうひとつの顔は、時代が終わりに近づけば近づくほど、危機を直感し、地域や、街頭や、SNS上で声をあげ、行動する人々が増殖していったというものです。それは原発に対して、憲法「改正」に対して、TPPに対して、レイシズムに対して、米軍基地に対してと、さまざまな課題に及びます。
しかもこれが、日本社会から数十年にわたり消えていた数十万規模の集会やデモの新たなかたちでの復活をもたらしたことは、現代日本の危機の深刻さをあらわすとともに、それを主体的に克服していこうという数多くの人々の意思が存在しているということを示しています。

「平成の終わり」にあたって、増殖する危機と、危機を隠蔽しようとする政治と、危機を克服しようとする人々が繰り広げてきた三者鼎立の激しい攻防の叙事詩を、この間、台湾、香港、韓国をはじめ世界中の国々を席巻した民主化運動の軌跡のなかで描き出すことは、「平成後」に激しく押し寄せるだろうさらなる危機にわたしたちが立ちむかうときの手がかりになるだろう。
こんな思いから、本書はつくられました。  by 木下ちがや

※「安倍政権は何者か(第3回)」は2019年4月12日公開。

《本書の目次》


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