,【極限の民族】本多 勝一著/朝日新聞社
幸せとは。常識とは。夫婦の在り方とは。自由とは。色々なことを考え、再認識できる貴重な一冊。
貞操観念?プライバシー?食事の時間?調理?排便後の衛生処理?昼と夜?規則正しい生活?貯蓄?一人を愛する?下着?学校?就職?電気?寝る時間•起きる時間?
題名の通り、極限の地に暮らす、カナダ・エスキモー、ニューギニア高地人、アラビア遊牧民について書かれた本である。
この本を手にしたきっかけは、たぶん少し前にアニミズムに興味を持ち、世界各地の部族の思想や生活習慣について調べた際に発見したのだと思う。
本多勝一氏は知る人ぞ知る有名な作家のようだが、私は全く知らなかった。昭和一桁、長野県生まれの本多氏は現在91歳で現役作家である。
著作数は多過ぎて調べきれなかったが、少なくとも365作品はあるようで、その内容も多岐に渡り、知識や文章力もさることながら、その活動意欲は留まることを知らないようだ。
(NHK党など論外の、私が生まれる前からNHK受信料を支払わぬこだわりを持ち続けている)
【NHK党】https://note.com/famous_tulip390/n/nc563c94d4c3e
手にした本が随分と古ぼけていたので、途中で巻末を開いて確認すると、初版は私が誕生するよりもずっと以前に発行され、私が手にしたものは第39刷の平成初期に発行されたものと、超ロングセラーである。(最終何刷までかは不明)
著者は朝日新聞社の編集委員(当時)で、発行は朝日新聞社なのだから左寄りの人だろうと思い検索してみると、日本共産党の赤旗広報に、宮崎駿氏と共にオスプレイや普天間関連記事に名を連ねてありリベラリストのようだが、本の内容も究極的に自由人的な生き様が記録されていた。
ちなみに対極(右翼)に位置するのが読売新聞(日テレ)や産経新聞(フジテレビ)だと言われている。
ふと思い起こすと、昨夜まで寝床で読んでいた本は、その左派日本共産党など暴力組織を撃退するために立ち上げられた日本版CIA、公安調査庁(国家公安委員会ではない)に35年も勤めた菅沼光弘氏のものだったから右も左もなく色々な思想を吸収するのも楽しいものだ。
https://www.moj.go.jp/psia/habouhou-kenkai.html
https://www.npa.go.jp/archive/keibi/syouten/syouten269/sec02/sec02_01.htm
私の自宅は真冬にもなれば室内でも吐く息が真っ白で、手はかじかみ足の指先は毎年霜焼けで感覚が麻痺するほどだが、冬にはマイナス50度にもなるカナダ・エスキモーの暮らすカナダ北方のテント住居よりも、(室内ほかほかの北海道を除く)日本中の住宅内部のほうが遥かに寒いらしく、エスキモーたちは、そのテントの中で全裸で寝る。
対して私は、自宅で起きたら寝床に行くまで筋トレを続けて体温上昇をはからないと凍えてしまうので、一日中座ることもない。
そんな暮らしの中に本多氏は実際に住み込み、何ヶ月も生活を共にしながら実録を仕上げていくのだが、その辺りが今どきのネット検索や書籍の情報の寄せ集めとはまったく次元が違う。
本多氏が住み込みをしたのは、ある一家のテントの中なのだが、ほんの狭い(と言っても現地では広いほう)10畳ほどの仕切りのないスペースに、ものすごい人数の老若男女が共に暮らすテントの一角を空けてもらい、そこで暮らすのだ。
仕切りもないのだから、トイレ(鍋に用を足す)もキッチン(調理の概念が無いから台の上に肉片などが置いてあるだけ)も寝床(凍土の上に獣の毛皮を敷くだけ)も素通しでまる見え、テント内は排泄物や赤児の吐瀉物、腐りかけた肉などの臭いに満たされ、子どもは一日中泣きわめき、連日朝の4時ごろまで好きなタイミングで好きなものを食べに行き、食べた後はそこで排泄の用を足す。
外に出れば、裸体なら数分でカチコチに凍って死に至る環境であるから、排泄物はいちいち外に出さない。
そんな環境下でもエスキモーの男たちは連日のようにアザラシなどの狩にでかけ、それが当たり前で幸福なのだとニコニコして暮らしている。
妻たちは、時には2日も同じ場所から動かず寝たままで、「調理/食事の時間」と言う概念がないから、腹が減ったら、そこらへんの生肉を削ぎ取って、生臭いまま口の中に放り込む。
本多氏の文章はとても読みやすく面白い。知らない言葉がたくさん出てくるので辞書を引く作業が多くなるが、とても学習になる。
辞書を引いていると時折り、その言葉を用いた文例を眼にすることがあると思う。
福沢諭吉や小林秀雄、芥川龍之介や太宰治、三島由紀夫や時にはもっと古い日本書紀だったりもするが、昨夜本多氏の文中で「文明国になるほどオムツをおそくまでしている傾向があるのは、一種のネオテニー現象か。」と言う一節の「ネオテニー」の意味がわからず日本国語大辞典を開くとそこには、どこかで見た文章が書いてある。
そう、本多勝一氏の名前と共に、その一節がそのまま掲載されていた。
「これじゃあ堂々巡りで意味がわからん!」と思ったのは言うまでもない。