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人生を野球で例える人がいるが、俺はカーリングの方が人生だと思う。

カーリングをこの1年くらいで見れるようになった。泊まりでバイトをしていると、夜中にBSで中継しているカーリングを見る機会がしばしばあり、ルールと戦い方がなんとなくわかるようになった。
石を中心に置くだけのゲームではなく、点を取れる石を守れるように場を制御するゲームなのである。その制御をお互いにやり合うことで、点数が取れる取れないになる。自分の動きだけでなく、相手の動きも予想してストーンを置き合うスポーツ。自分の宇宙を描くという意味では、なんだか囲碁とか将棋の部類だと思う。ストーンを操る技術はもちろんだが、頭脳戦の部分もあって、私はそこが好きだ。

カーリングを初めて見た時、随分手前でストーンを止めるのを見て、変だなと思った。真ん中取りに行くゲームじゃねえのか。失敗かと思った。
しかし、それは布石だった。あくまでも壁としてのストーン。点を取るのは別のストーン。その点を守るために、最初に点を取れない場所に置かれたストーン。
どうでもいいと思っていたそのストーンが、ゲームが進むにつれてどんどんと邪魔になる、存在感が出る、必要になってくる。ぱっと見失敗に見えるものが、実は重要な役目を担っているっていう、めちゃくちゃカッコいいやつである。いや、そうではない。この展開を見越して、この展開を作り上げて、完成図を考えた上で、最初にこの場所にストーンを置いているのである。最初から失敗なんてないのだ。これもう織田信長なのよ。子孫はフィギュアスケートしてるけど、本人は多分カーリングをするよ。そんぐらいカーリングは軍師のスポーツなのである。
軍師のスポーツなので、カーリングには物語性がある。
点を取るために真ん中にいるのはスターだ。成功者。しかしその影には、彼を守るために影に徹する者がいる。それでも戦争に勝てば全てが報われる。その為の駒なのだ。泣ける。全ての展開が即興で生まれるのに、終盤になっていくにつれて、全てのストーンが一つの結果につながっていく。ミステリー小説だ。428だろ。ドロヘドロだね。最初に隅にいたストーンが、最後に真ん中に弾き出されて点を取るのなんて、ネビルロングボトムである。伏線回収が頻発していく。1試合は短編小説集で、本全体でも一つの大きな物語になっている、最高のやつなのである。

カーリングのたまらないのが、相手の動きに合わせて迅速にチームでの最善手を出す部分だ。相手がいい位置にストーンを置いて、それに対して自分が一回失敗したとしよう。相手はアドバンテージを掴んで、さらに有利な盤面を生み出す。そんな明らかな失敗の中でも、選手は勝つことだけを考えて次のストーンを投げる。
最後まで勝ちの目を捨てない。冷静に、失敗も含めて現状を判断して、答えを出す。仮に1ゲーム落としても、全体の試合で勝てるように調整を続ける。まさに人生である。この選択の連続は、人生と一緒なのよ。失敗までひっくるめて現状と捉えて、なんならそれも計算のうちにして、最後の勝利を掴み取りに行く。なんてドラマチック。しかもそのドラマは毎回アドリブで、高速で出来上がっていく。毎回これがもうたまんないのだ。

そんなわけでカーリングを見るのが楽しいので、カーリング女子の躍進がたまらん。家族みんなで、このストーン良いとか、ここ置かれたらこう行きたいけどだいぶ難しいなこれとか、あーだこーだ喋りながらテレビを見るのが楽しい。冬のスポーツだけど屋内だからみんな顔が見えてるのも良い。笑顔なのサイコー。
そしてついに銀メダル以上が確定した。素晴らしい。
これからも応援します。

画像のラーメンは神田の「ラーメン大戦争」です。

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