枕を買ったから、枕を捨てる
家に帰る途中、電器屋に寄った。
オーディションがあって、ムシムシ暑い帰り道だったから、ふとハンディファンを買いに電器屋に寄った。
今日は家を出るときも、家に帰るときも、いきなり雨が強くなって打たれたから、防水の靴を履いていたのに靴下が少し湿っていて、少し残念な気持ちになりながら、濡れたアスファルトの上を濡れた靴音を聞きながら歩いた。
電器屋に入ると、ハンディファン以外にも、欲しかったものがそういえばとチラチラ頭の中に浮かんでくる。フロアガイドを見て、エアコンがある6Fにいけばファンの類はあるだろうと狙いを定めつつ、カメラの階に行ってスマホ用の三脚を探そうかなとか、すぐうしろにある薬局コーナーの雰囲気を感じて、足りない日用品を買おうかなとか考えていた。
薬局を通り抜けて、エレベーターを呼ぶ。二機のエレベーターを一つのボタンで呼ぶタイプの建物で、そのうち一機が目の前で扉を開けた。ボーっと別のことを考えて立ってたから、危うく乗り損なうところだった。
6階に着いて、扇風機的な形状をサーチした。
空間の中盤に丸いものの群れがあればそれが扇風機売り場だろうという感覚で、扇風機よろしく、何にも焦点を合わせずに自分の首を回してると、布団と枕の売り場があった。
枕を買うつもりは一切なかったんだけど、置いてある蕎麦殻とかの枕をざらざら触ってるうちに、そういえば自分の枕がもうぺったんこになってきていて、いつも長辺を折り曲げたりして高さを出したりしてることを思い出した。
カップルらしき二人が、これだこれだと言わんばかりの雰囲気で寄っていった枕があった。触ったり、貼り出してある評判を読んだりしているうちに、僕もそれが欲しくなった。
ぼちぼちプライムデーが始まることを意識してたのでAmazonで同じ商品を検索してみたら、事前セール価格が店頭でのセール価格と同じ値段だったので、特に迷うことなくその枕を買った。ハンディファンもスマホ用の三脚も見つけたけど良いのがなかったのでそのまま帰った。
僕の枕は、新卒入社の1年目か2年目の春先くらいに、商業施設の中にあるセミオーダーの枕屋さんで買ったものだから、そこそこ長い間お世話になっている。
交換するためにさっそく枕カバーを外して、なんとなくなでてみたり、匂ってみたりしているうちに、そういえば自分は、長く自分と時を過ごしてきたモノに、割と情を感じるタイプであったことを思い出した。
なかなか寝付けないで辛い日が割とあったりして、ウンウン唸っていたとき、この枕はそこにあったことを思い返したりして、思わぬ早さと力で涙が込み上げてきたけど、なんとなく押し留めた。
ありがとうありがとうと、今日これからお前を捨ててしまう罪悪感を打ち消すように口に出した。誰かに変なやつだと思われるよりも、のちのち、枕を捨てるときにお礼を言わなかったなと後悔するほうがよほど嫌なので。
自分が捨てるものには、もう命が無いのだと思い込むようにしている。
数年間、毎夜共に過ごして、たまに陽に干して、枕カバーを替えたり、家でドラマを観るときのクッション代わりに使ったりしてみて、枕としてのお前の責務、出来得る仕事は十二分に果たしたぞと、お前に対して俺は失礼をしなかったよなと思い返して、それらを自分の中で確定させる時間を使って、枕の命が尽きていることにした。
今夜は新しい枕で眠る。
楽しみだけどやはり少し寂しい。
電器屋の売り場にあった、枕の高さセルフチェッカーみたいなやつを使ってチェックしたからおそらく大丈夫なんだけど、もし万が一、新しい枕が体に合わなかった時のことを考えて、もう数日、家に古い枕を置いておこうかな。蘇ってもらえるように