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螺旋階段(ドリームキャッチャー)

みんなのフォトギャラリーで表示された最初の一番左端の画像を利用してショートショート即興小説を書こうと決めた。

そして14:09分。私はタイピングを始める。

眠気が襲うこの時間に漠然とした言葉が並び始める。

ゆっくりと螺旋階段を降りていくように眠り付くように。

それはまるで過去への旅立ちのようだ。

夢の中は記憶の断片をかき集めて脳を刺激する。

徐々に落ち込んでいく潜在意識下の隅の隅に、私の求めている言葉が存在する。

え?これはエッセイですか?コラムですか?

あなたの質問が私の鼓膜を打ち付ける。

いや、ショートショートですよ。これは小説です。

自問自答しているかのようなやり取りを第三者に求める。

螺旋階段を降りていく人物を、上から見ているかのように。

未来がそこにあるのか、はたまたそこに居るのは過去の残像なのか。

呼び止めれば、フッと消えていなくなりそうな感覚に陥っていく。

過去も未来もない。今がそこにあるだけだ。

時間の幻想に掻きむしられながら、今という時に翻弄される。

いや、時すら時の流れすら制御出来るのだと信じている。

だから、ボーっとした時間が物語の閃きを与えてくれる事を知っている。

歩いて散歩している時、お風呂に入っている時、軽い運動とモノゴトの選択が少ない時、考えあぐねたら目の前の選択を全て捨てて、考えるのを止めてみるのが良いのだとか。

座禅、ヨガ、昔から人々は知っていた。体感では理解していたこと、それを科学が証明しているという最近の社会に、私は生きている。

これは小説か?

いや、違う。

私の思考が断片として書き表されているに過ぎないのだと、そうなるとコラムに近いし、エッセイとも言える。

螺旋階段を下っていく。

登るのではなく、下っていく。

心の奥深くにいる自分自身に会いに行く為に、どこまでも下っていく。

最深部に付いた時、私は単なるケモノとかしている。

欲望に打ちひしがれ、欲求の欲しがるままに、裸の自分がそこにいる。

私はそっと覗かなかったかのように、螺旋階段を登り始める。

欲望の扉を締めて、欲望がこの螺旋階段を登らないように、所々に罠を仕掛ける。

食欲が湧いて出て来ようならば、満腹感というトビラで締め出すのだ。

満腹感のトビラの向こうには、食い意地の張った私が、ヨダレを垂らしている。

ああ、なんとも意地汚い生き物か、時々餌を与えてやることを忘れなければ、少しは大人しく待機していてくれる。

私はこの螺旋階段を登ったり降りたりしながら、裸体の私を管理しているのだ。

螺旋階段を最上階まで登ると、何が見えるのだろう?

私が管理している私の欲望たちを見張ることがなければ、私はどこまでもこの螺旋階段を登り続けようと思うのだろう。

時々見える外の世界には、色んな人の螺旋階段があるという。でも、私から見える外の世界は、私とは色艶の違うビル群だ。

若いビルもあれば、古びたビルもある。

その窓に写って見えるのは、結局自分のビルの外観なだけで、じっくり奥深く覗き見ようと頑張っても、別のビルの螺旋階段まで見ることは出来ないようだ。

「お~~い!」窓から手を降って挨拶をする。

すると、隣のビルの窓から顔を覗かせて手を振り返してくれる。

上の階に居たら私は下から見上げ、下の階に居たら私は下を見下ろす。

距離が遠くて聞き取れないとか、近くまで降りてこいとか、色々と言われることがあるけれど、自分の心の欲望たちを管理して手が放せないんだ。

ごめんね。

いつかタイミングがあったら、同じ高さで会話をしよう。

お互いの欲望たちが同じように制御できた時、それは自ずとやってくるでしょう。

それまで待つよ。

良い夢がスッと心に入り込むように、私の寝床にはドリームキャッチャーが飾られていた。

心地よい風がドリームキャッチャーの羽根を揺らしている。

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