そもそも見ず知らずの人との出会いに健全などあるのだろうか?というつぶやきを送ろうとしたら文字数オーバーしたのでテキストノート化
だけど、それほど書くことがないし、たくさん書くほどの時間もないから軽いコラム?
いや、知っている人と出会うのでも同じこと、顔見知りの犯行とかいう刑事ドラマを見ても、出会いに健全などあるのだろうか?
それは言ってみれば、会った人その人が誠実だった瞬間の出会いでしか無く、時間が経っても健全な出会いとして言えるかは疑問なのだろう。
人のせいにしないって言ったばかりなのに矛盾してね?
人が誠実なのは瞬間であって、過去や未来永劫、誠実であるという意味では無いと思っている。
要するに、人は時代の変化で柔軟に流されている。
だから、誠実じゃなくなる瞬間だってある。
たまたま、その瞬間に居合わせてしまう不幸というのも存在する。
全ては、導かれた不幸なのか?
その変化は、人の性格ではなく、人の弱さでしか無い。
誰だって弱い。誰だって強くなれると思っている。
でも、実際は強がっているに留まるのだろう。
そこに不幸な結末が生まれるのだとしたら、人の出会いはなんと悲しいのだろうか。
人は弱いのだということを
知っておいたほうが良い
すべての人が誠実じゃなくなる瞬間がある。
すべての人の弱くなっている時、手を差し伸べられると信じれるのなら
弱くなっている時の強がりを見抜けるのなら
全ての出会いが健全に変わるのだろう
私はそう信じている
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