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「荒」

「あっ」。割れている。ゆで卵がひび割れて白身が乳白色の尾ひれになってお鍋のなかで揺れている。冷水に浸して丁寧に殻を剥がしてはみたけれど。あちこちつぎはぎ模様のユニークなゆで卵が出来上がります。こんな朝があるよな・・・。キュウリとトマトとつぎはぎゆで卵のサラダを見ながら小さな傷って破壊力が大きいものだなと朝から独り言。サラダの風景がザラザラとザラついています。

ひとりの朝茶時間。あれやこれや頭の中で巡っている朝はなかなかこの巡りを止めるのが難しいのです。渦巻きのような巡りはゴクンと喉を落ちたお茶の味さえ渦巻きのなかに隠してしまいます。胃袋にタプタプと味気ない水分が溜まるだけのお茶の時間も人生には時々あったりします。

そうね。冷蔵庫から卵を出す時からきっと頭は卵と離れたまま。で、せかせかとした手元が卵をぽちゃんとお鍋に落とす。流れで点火したガスは思えばやや強めだったはず。結果つぎはぎゆで卵誕生。あれこれ頭が巡っている時には手元が荒々しく忙しない。そんなとき私の手の先から生まれるものが形として私に教えてくれる。「頭と体が別々よ」って。

そんなわけで、ゆで卵を作る朝、心の風景が見えたりします。


花の手入れをしている時にも同じ感覚を感じることがあります。なにか心此処にあらずな手の動きは花にはお見通しですから。心此処にあらずの原因の小さなささくれのような私の痛みも花は吸い取ってくれます。どんなに私を癒してくれているかは花瓶の水の濁りぐあいですぐにわかるものです。水の濁りは私の心の濁り。濁った水を流しながら、つぎはぎゆで卵が頭の隅っこにチラチラと気になります。

「主が、そうすると決めた時に
 彼らは咲いたのです。」

大好きな、シスター・モニカ・ジョーンのことばです。なかなか咲かなかったヒヤシンスが彼女の友人の結婚式の朝に薄紫の花を咲かせました。その薄紫のヒヤシンスが友人のブーケになった時のことばです。シスターたちが交代でドライヤーをかけて暖めても花開かなかったヒヤシンスがこの朝にドラマチックにも花を咲かせたのです。

小さな花の人生にも、私には思いつくことのない働きが注がれていること。そのことを念押しするように教えてくれた場面です。シスター・モニカ・ジョーンとは私のお気に入りのイギリスのテレビドラマのなかのシスターです。預言者のような不思議な言葉をはなして、みんなを惑わせているちょっとトラブルメイカー的なキャラクターですが憎めない興味深いシスターです。

心はいつも動いています。今朝の私は、昨夜の私とは違うことを。朝ごはんのゆで卵が、部屋に飾った切り花が、大好きなシスター・モニカ・ジョーンがこっそりと教えてくれます。時々、自分を諦めそうになる荒々しい私に閃きを差し出してくれるのです。

ちなみに、シスター・モニカ・ジョーンにお会いになりたいと思った方。彼女は「コール ザ ミッドワイフ」にて活躍中です。(笑)


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