コメント文化
昨今は漫画にせよ動画にせよ、読者や視聴者がコメント投稿をするのが当たり前になっている。
それは良いことだ。
作者からすれば、コメントがたくさん来れば嬉しいしありがたい。
しかし最近気になるのが、コメント文化の弊害と呼ぶべきもの。
その筆頭がそう、
先入観と偏見
である。
コメント欄にネガティブなコメントが並んでいて、この作品不人気なのかな…自分は好きなのに…とションボリしてしまったり。
この作者の絵柄は○○に似てる、というコメントを見てからそれが頭から離れなくなったり。
他の人のコメントに気を取られて、純粋に作品を楽しめなくなるケースは多いのではないだろうか。
また、話題のズレという問題もある。
たとえば私の漫画に寄せられるコメントで、「○○○というコメントしようとしたら既にあったわ〜」
みたいなものがちょくちょく見られる。
いや、いいじゃないか!
他の人が同じコメントしていようと、気にせずすればいいじゃないか!
何故ためらう!他者を気にするな‼︎
また、私はよく大乱闘ゲームの試合の配信を観るのだが、コメント欄が試合とは別の話でヒートアップしてしまうのはよくある事だ。
試合の応援ではなく、キャラクターの性能だのここにいない別プレイヤーの話だので盛り上がってしまう流れ。
これらの話題のズレは主に、作品(コンテンツ)よりもコメント欄の方を見てしまうせいで起こる。
作者、配信者からすれば萎え萎えのナエトルである。
そして一番困るのが
誤解の拡散
ではないだろうか。
個人の感想うんぬん以前に、コメントの内容が事実と異なるというパターン。
たとえば私の漫画で、座敷わらしの頭が半分潰れて、脳漿(のうしょう)をまき散らしながら倒れているシーンを含む回があった。
あったというか、それが第1話なんだけど…。
しかしながら、コメント欄には「誰も死んでないぞ」「座敷わらしを死なせろ」みたいなコメントが結構あったのだ。
(理由は多分、読切版で首から上が丸ごと吹っ飛ぶ描写があったため、それしか印象に残ってない読者からすれば「頭が欠けてる」程度では目に映らない…という事だと思われる)
いや、死んでるし。よく見てくれ。
作者がいくらそう思おうと、そのコメントを見た他の読者にもその「死んでない」認識が広がる恐れがある。
そういうコメントがある時点でそれが既成事実のようになり、作品を上書きしてしまうかもしれないのだ。
(後日追記)
他にも、作中でそんな記述はしていないのに「○○という設定はどうした?」というコメント、
現実とは関係ないフィクションなのに「これ実体験なんだな」と書いてくるコメントなどなど。
事実との相違は他の読者を混乱させてしまう。
(追記おわり)
よく読んでくれている読者なら「いや、致命傷じゃん?死んでるのでは?このシーン」と分かってくれるとは思う。
しかし、漫画をじっくり読み込んで内容を理解することよりも、コメント欄を見て他の読者と認識を共有する方が、てっとり早くて簡単なのだ。
かくいう自分も、ウェブ媒体で漫画や動画を観る時はついついコメント欄をのぞいてしまいがちだ。
だからそういうのも楽しみ方の一つであるのは承知の上で、
作品を純粋な気持ちで楽しみたいなら、他人のコメントはあまり見なくていい‼︎
ということを提唱したい。
しかしコメントがあると作者的にはありがたいので、コメントの書き込みは是非してほしい‼︎
他人のコメントは気にせずに、しかし自分のコメントはバッチリ書き込んでほしい‼︎(わがまま)
そしてアンケートに票を入れ、
単行本が出た際には購入し、
友人知人に布教して、
あなたは神読者となるのだ。
THE END
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