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ひと夏の少年心 / 書き下ろし台本

《本篇》

ひと夏の少年心

石を蹴って歩いた通学路を、
今度はキャリーケースを引きずって歩く。
帰ってこないつもりだった実家、
もう見ないはずだった風景。
蝉の鳴き声が、
都会とは比べ物にならないほど頭をたたいて、
夏という季節さえも、
僕を責め立てているようだった。
反対される声を跳ね返し、両親に背を向けた、青かりし少年。
あの頃には、成し遂げたいものが確かにあった。
この町は今、どう映しているだろう。
行動の核をも見失って、背中を丸めて帰る僕のことを。
そもそも帰る場所なんて、僕にあるのだろうか。
本当の後悔は、その言葉に乗せられないほど重い。
努力を妥協して、
芽を枯らすことを容認してしまった過去の自分。
再生できるかも分からないまま、元来た道を戻った。
答えがある保証なんてどこにもない。
でも何故だか、ここに来ないといけないような気がした。

角を曲がった先に続く、家までの一本道。
道に反響するキャリーケースの音が、やけに大きく聞こえて、
距離が近づくだけ、心拍数が上がっていく。
残り数メートルを進む時間が、何倍にも感じた。
よく締め出しを食らったあの頃、
吸い込まれてしまいそうで、嫌いだったこの扉。
今は見下ろしているはずなのに、目の前で縮こまっている僕がいる。
深く空気を吸い込んで、深く、はき出す。
1歩踏み出した僕は、勢いにのせてインターフォンを鳴らした。
どこかにあった、なるようになれという気持ちが、
蓋をしていた勇気を引き出したのだと思う。
だが、奥の方で響いたチャイムの音は、
誰の気も引くことなく、ひとりでに空気に溶けてしまった。

長旅で蓄積された疲労感は、遠に限界を越している。
さっきまで僕の心を支配していた緊張は、
家に誰もいないことが分かった瞬間、
奇妙な高揚感と、好奇心に変わった。
ジリジリと身体をすり減らしていた太陽が、
スポットライトのように僕を照らし始める。
眠っていた少年は、軽くなった足で歩き出した。
目指したのは、門限を破る度に使った裏口。
めいいっぱいの力込めて、絡まったツタを豪快に剥がす。
露になった扉は、記憶の内よりも年季が入っていて、
青臭い冒険心を掻き立てた。
ドアノブを回す。
じんわりと伝うぬるさに、冷や汗が滲む。
そっと、開けようとしたその時、
嫌な浮遊感と共に、扉が大きな音をたてて落ちた。

忘れていた蝉の声がまた、僕の頭を叩く。
でも、不思議と気持ちは軽くて、自分がおかしくて、
気がつけば、声を荒らげて笑っていた。
芽を枯らしてしまった過去も、それを後悔する自分も、
変えられないものは変えられなくて、
この芽がこれからどうなるかも、新しいものが見つかるかも、
分からないものは分からない。
でも今が楽しければ、今を乗り越えられれば、
きっと、なるようになる。流れに任せるのも悪くない。
夏を駆けた青かりし少年よ、また逢う日まで。
僕は立ち上がって1人、そう呟いた。

《後書き》

夏ですね、最近本当に暑い。長期休みには帰省というイベントがありますが、私の実家は双方近いので、キャリーケースを引きづって旅行気分のそれに憧れます。この台本は、「イケカテだらけの朗読会」というSpoonの企画で書き下ろさせて頂きました。テーマは「実家・夏・秘密」
誰がが前を向くきっかけになるような、私の好きな「できると思えばなんでも出来る」という言葉を「なるようになる」には置き換えてますが、伝えることが出来ればいいなと思います。

2022.7.27 音葉 心寧

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