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和製フリット【石塚啓次】

なんとなくYouTubeを流し見していたら、アッと思う動画が上がってたので、思わず見入ってしまった。

小学校4年生かサッカーを始めた私ですが、その年の冬から中学校3年の冬まで毎年の恒例行事として、全国高速サッカー選手権大会の準決勝か決勝戦を国立競技場へ友達と観戦に行く。自分が高校生になってからは観に行かなくなってしまったが、毎年の楽しみの一つだった。

高校進学を控えた中3の冬は決勝戦を観に行く事にしました。
対戦カードは『 国見高校 vs 山城高校 』
自分もいずれ冬の選手権に出場する事を夢見る中3男子にとって国見高校
は言わずと知れた高校サッカー界の超名門でした。
しかし、今回僕たちのお目当てはその国見高校ではなく、対戦相手山城高校でした。
というか、山城高校の背番号7番「石塚啓次」でした。

各都道府県の代表高が決定すると、その高校を紹介する雑誌が書店に並びます。いずれ自分もここで紹介される事を想像しながら立ち読みするのが楽しみでした。この年も例年と同じく書店に並ぶ雑誌のペラペラとページをめくっていると、当時の僕にとって衝撃の選手がデカデカと特集されていました。それが「石塚啓次」でした。
中学3年間を坊主頭で過ごし、進学する高校も1年間は坊主が決定している僕にとって、茶髪にロン毛。ピアスに指輪の高校生は衝撃でした。
しかも当時無敵を誇っていたヴェルディ川崎に内定している長身のMF。
和製フリットなどと形容される石塚のプレイを見てみたい!!
今と違って選手の動画を見る事の出来ない時代だったので、雑誌に出ている
風貌や、載っている記事からプレイを想像していました。

そして、対戦カードが決定!
山城高校は2回戦で神奈川代表の高校と対戦する事に。
当時私が住んでいた所ではTVK(テレビ神奈川)が受信できていたので、
山城高校が1回戦を突破すれば石塚のプレイが見れる!!!
心が躍りました!!!
無事1回戦を突破した山城高校。スポーツニュースでその事を知った僕は、
いよいよ石塚啓次のプレイを観れると思い、わくわくしながらその日を待ちました。

試合当日。TV中継の10分前からテレビの前に陣取り、準備万端。

んんん?
石塚がいない???
ベンチでふんぞり返ってる茶髪の石塚が映し出される???
実況のアナウンサーから大会前の練習試合で足の指を骨折して事が発せられ、出場せずにベンチにいる事に渋々納得したのと覚えています。
落胆したとはこの事といわんばかりの超落胆。ガッカリを通り越して笑ってしまった。しかし、骨折しているのに石塚はベンチ入りしている。もしかしたら出場するかもしれない。対戦相手は強豪神奈川代表。
そんな願いも空しく、石塚の出場はナシ。
しかし、石塚不在の山城高校は強豪神奈川代表をPK戦の末に破り、3回戦進出。石塚はベンチで表情を変えずふんぞり返ってる。

TVKでは神奈川代表が勝ち進むていで、放送の枠があるらしく、神奈川代表を破った山城高校の3回戦をTVKで放送される事が判明。
次の試合こそ石塚の出場があるかもと、テレビを見るのですが、石塚の出場はナシ。大黒柱の石塚不在の山城高校は快進撃を続け、まさかの決勝進出。
決勝戦こそは出場するのではないかと期待に胸を膨らませ、友人と決勝戦を観戦しに国立競技場へ向かう坊主頭のサッカー少年達でした。

いざ決勝戦が始まり、観客は8割程度の入りだったと記憶しています。
お目当ての石塚はやっぱりベンチでふんぞり返ってます。出場する気配は全くナシ。試合も国見高校の一方的な展開。
一番安いチケットで入場していた坊主頭のサッカー小僧達は、こうなったら一目だけでも石塚を間近で見ようと、立ち入ってはいけないメインスタンドへ侵入し、山城高校のベンチの上まで行く事に成功。
スタンドから身を乗り出し、山城高校のベンチを見てみます。
石塚がベンチにいない⁉⁉⁉⁉
帰ったのかとマジで思いました。試合は0-2。一方的な展開。ベンチでふんぞり返っていた石塚。帰ったと思われてもおかしくない状況。
その時でした!!!

サッカー好きの私ですが、サッカー観戦も大好きです。
今まで旧国立競技場へ何回も観戦に行ってきました。
日本代表戦や天皇杯。トヨタカップなどの世界の強豪チームの試合もたくさん観戦してきました。

そんな私が感じた、国立競技場が歓声で一番揺れたのがこの石塚啓次の登場でした!!
ドォカーーン!!とゆう歓声が国立競技場に鳴り響き、競技場が揺れた感じをはじめて味わいました。
自分の期待値が大きかったのもあるし、まだ中3のガキだったので記憶も曖昧なので、ちょっと大げさになっているかもしれませんが、とにかく凄かったのは覚えています。

僅か20分程度の出場でしたが、今でも鮮明に覚えているあの会場の盛り上がり。試合は国見高校の圧勝でしたが、石塚の出場で明らかにペースが変わりました。

一方は坊主頭の超名門高校。一方は自由な感じが漂う高校の対戦。その対比がとても興味深く、その象徴が石塚啓次のようで、観客席からみていた私も、今までの高校サッカーには無い感じを受けたのを覚えています。

石塚啓次さんは、今はサッカーからは離れ違う場所で活躍されているそうです。
当時彼のような選手が活躍できる風土にあった山城高校サッカー部は素晴らしいチームだったんだろうなと感じます。

小さくまとまらずに、どんどん個性を発揮できる選手が育つ日本サッカー界の今後に期待しています。
いつの日かルート・フリットやズラタン・イブラヒモビッチみたいな選手が日本サッカー界から出てくるのも心待ちにしています。





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