《東北編》瀬織津姫と東日本大震災


2011年3月11日 三陸沖
宮城県牡鹿半島の東南東130km付近で発生した
東日本大震災


あの日から11年ー
わたしは今、気仙沼の地でこの日を
迎えようとしていた。


なぜ、11年経った今
この地に来ることになったのか?
その答えを握っていたのが瀬織津姫だった。



震源地を地図で見てみると

写真、ピンク枠で囲んだ場所が霊山 金華山

3.13に行く予定の金華山が
震源地に一番近かったのだ…。

(金華山は日本五大弁財天として有名であり、
弁財天=瀬織津姫とされている。)


その瞬間、

「わたしが引き受けた」


という言葉が入ってきた。



そこから、わたしと瀬織津姫の対話が始まった。



東日本大震災については、自然発生したものではなく
人工地震だとする説も存在するが、
人であろうと自然が原因であろうと
誰が悪い、と外側に求めるのではなく

もっと高い視点から俯瞰したときに
何が見えるのか?


と思ったので、ここからは
わたしなりに感じたことを綴ろうと思う。



地震はなぜ起きたのか?

極端な力を「中庸」へと戻す必要があった。
宇宙が振る杖=采配とは、人を癒すこともあれば
災いをもたらすこともある。


極端な力とはなにか?

人々は何よりも大切な
自分を愛することを忘れ
自分を犠牲にしている人間が多すぎた。

大切な人を失ったり、住む場所、仕事、お金
自分という存在以外に目を向けていたものを
一旦なくすことによって、自分の命、存在というものに
目を向ける必要があった。


そう言われたときに、自分自身の11年前を振り返ると
仕事一筋で、自分の体調なんて後回し。

自分のために「休む」ということを知らなかった。
どんなに体調が悪くても、仕事に行くことが
当たり前だった。

もちろんやりがいはあったが、
心も身体も疲れ切っていた。

そして、震災を当時の職場で経験した数ヶ月後に
ふと我に返り、退職。
自分が本当に興味あることに
時間(命)を使うことにしたのだった。



なぜ、東日本という場所で起きたのか?

そう問うた瞬間に
「わたしが引き受けた」
という声が聴こえたのだった。

そして、また、東北の人は
真の強さを持っているとも言っていた。




なぜ、瀬織津姫が引き受けたのか?

引き受けられるのが、私しかいなかった。
(それだけ大きな力が働いていたということ)

すべて投げ打つ覚悟で臨んだが
守りきれなかった、という悲しみが伝わってきた。


しかし、もし瀬織津姫が引き受けていたなかったら…
東日本という場所でなかったら…
もっと多くの人が「光の戦士」となっていただろう、と。



確かに、首都圏でも大きな揺れを観測し
停電も起きたし、首都圏の機能はストップしたに等しい。
それでも、首都圏直下であったら…
その被害は比較もできないものになっていただろう。



金華山、そして東日本が起こるべくして起きた
この「大変化」を背負って立ってくれたのだとしたら…




その瞬間、瀬織津姫のいろんな感情、想いを感じた。




あれだけのことが起きたのに、人々は何も気づいていない…
いつまで同じことを繰り返すのか…
という絶望と悲しみを含んだ怒り。


守りきれなかったのは自分の力不足のせいだ…
わたしには力なんてなかったんだ…
であれば、わたしがいても仕方ないと
自分の殻に閉じ籠り自らを封印する。


瀬織津姫はその力が強力すぎて
封印されたとする説が多いが
金華山の瀬織津姫は自らの力に自信をなくし
岩戸を閉じてしまったのではないかと思う。


この翌日、瀬織津姫の想いを解放していくことになる。




つづく

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