《東北編 金華山後半》 麗しき喜びの山の女神へ

海巫女より、「音も必要そう…」と
金山毘売かなやまひめとの対話を引き継いだ。


沸点に達した怒りは引いていたが
それでも金山毘売かなやまひめの叫びは
続いていた。



お金の神様として祀られ、そのご利益を信じて
訪れる人々。

「お金持ちになりたい、なりたいって
お金持ちになって、じゃあ何がしたいの?
なんのためになりたいんだよ?!」


と、ごもっともなお言葉。


「お金持ち」とは概念的なもので
具体的に描けている人が
一体どれだけいるのだろう?


中身のないお金持ちとは、ある意味
「幻想」なのかもしれないと思った。



さらに、金山毘売かなやまひめの言葉はつづく


「瀬織津姫みたいに、自分から閉じこもって
自らを封印したのであれば、
自分で解くこともできる。

でも、わたしのように存在が
認識されないことほど
つらいものはないぞ。」



誰かの陰にされ、自分という実体がない。
それは隠す以前のものだ…



人の感情もそうだが
隠す、ということは「ある」と認識した上で
見たくないから「隠す」ことをする。


しかし、認識すらされない感情は
行き場をなくし、見つけてもらうことすらできない。


それは、あまりにもつらいことだと思った。





そして、金華山を訪れた時に感じた
島全体に元気がなく、荒んでいる状態


すなわち木が枯れている=エネルギー
枯れている状態


これは…


金山毘売かなやまひめがあえてエネルギーを
塞きとめている


そんなイメージだった。
そして、かつてはもっと潤いのある島であった
イメージも見せてもらった。




なぜ、塞きとめるのか?

元々、瑞々しく潤っていたその島は
全てが金山毘売かなやまひめ喜びから
生まれたものだった。



しかし、存在すら認識されない上
人々がよくわからない幻想を
求めてやってくるうちに、

元々「幻」のような存在であった
金山毘売かなやまひめにさらに幻想が
上塗りされていった。



認識すらしないくせに、幻想ばかりを求める。
だったら与えてなるものかと、かつては
豊かだったこの土地のエネルギーの
元栓を閉めたのだった。




しかし



「…もう塞きとめるのも疲れた。」


そう、ぽつりと呟いた。



誰かに気づいてもらえるまで…
そんな願いも込めながら、塞きとめた。


その願いは、いくら待っても
叶うことはなかった。



「本当は終わりにしたい…
でも終わらせ方が
わからなくなってしまった。」



そう、教えてくれた。



それなら、一緒に終わりにしましょう、と
開栓作業を名乗り出た。



すると、こんなイメージを見せてくれた。



子宮のような優しいピンクの空間の中
金山毘売かなやまひめが喜びで震えた瞬間
ポポポポポン!と金がどこからともなく
現れたのだった。


喜びから生まれた、いわば「我が子」のように
愛おしい金たちを人間に取り上げられてしまった。




「誰もわたしのことを見てくれない上に、
金まで生み出せなくなったわたしには
もう価値がない…」



そう悲しげに、寂しげに語る金山毘売かなやまひめ




そして、その思いはわたしにもリンクした。


価値を生み出せないわたしには価値がない。

お金を生み出せないわたしには価値がない。

生み出したものを必要とされない
わたしには価値がない。




わたしだけでなく、誰しもがどこかでは
抱えているものではないだろうか?




そして、このあと金山毘売かなやまひめに言った言葉に
誰よりもわたし自身が癒された。




何かの価値のために生まなくていい
喜びであふれているだけでいい




なぜなら、金山毘売かなやまひめは金を
生もうとして、生んでいるわけではないのだ。


金を生んだら、儲かるとか価値があるとか
そんなことから生んだのではなく


ただただ、純粋に自分が生み出した
金華山という山を愛でていたら喜びが溢れ
喜びで震え、金が生まれたのだ。


これは「お金持ちになりたい」ということにも
通ずることだと思った。


そして、また自分の価値にも通じる話だ。




自分の価値や存在を証明するために
何かをする必要は全くなくて
自分の魂が本当に喜び震えることに集中する。

それだけで、豊かさは広がっていくのだ。



シンプルだが、シンプルゆえに
人は順番をよく間違える。

そして、それが自分を苦しめる。





金山毘売かなやまひめ
「もう生み出せない」

その先には
「生んだら、また奪われる」
そんな恐れが伝わってきた。



わたしはこう伝えた。



「たしかに人は欲深い。
だから、金が生まれたら
また持っていってしまうかもしれない。

でも、金という物質は奪えても
あなたの心の震えは誰にも奪えない。

だから、あなたの心が震え続ける限り
無限に生み出す力があなたにはある。」



このことを伝えた瞬間


出し惜しみしなくていい
安心して全部出していい


という安堵感にわたし自身も包まれた。



出し惜しみをするということは
氣を塞きとめるということ。
それでは流れが滞って当然だ。



本当は無限に豊かさがあるのに
出したら奪われてしまう、という幻想の中
お金、人気、認知度、肩書きを求めて
走り続けるか


自分には無限に生み出す力があるから
何度でも生み出すことができるという安堵の中
喜びで震えていたら、副産物として
色々ついてきた



どちらの生き方をするのかー



そう考えた時に、わたしは圧倒的に
後者で生きる、と改めて思った。



そこから、また一つ
自分の価値を証明するのために頑張ることを
やめることができた。



自分の「喜び」に目を向け生きることは
結果として、自分にも周りにも多くの豊かさを
もたらす。


金山毘売かなやまひめ改め、香名山姫は
そんな大切なことを教えてくれた。



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対話を終える頃には
怒り狂い、金切姫となっていた姿はどこにもなく
美しく麗しい女神へと還っていった。


エネルギーの元栓が開き、島全体に香名山姫の
氣が溢れ、枯れ果てた木々や大地に
桜や菜の花が咲き乱れるそのイメージは
本当に美しかった。


名が香るほどの姫、
芳しき麗しき金華山 香名山姫


つづく


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