落とし物写真史

世界は広いというか、今日の情報爆発の時代にあっても、あるいは情報散乱甚だしいからこそかもしれないが、まともな写真作品というのは探しづらいものがある。そのため、世界において落とし物写真専門の写真集があったかどうか私は存じ上げないが、寡聞ながら今まで見た日本の写真史のなかで考えると、たぶん落とし物専門の写真集はなかったはずである。

 ただ、写り込んできたというか、歴代の写真家たちが撮った「落とし物写真」といってよい写真は何枚か存在する。

 まず落花。厳密には人が落としたものではないので落とし物ではない。しかし、落ちていたものではあるので私も撮ってあった。落とし物写真集を構想していたときに、セレクトしてもいいかと思わせてくれたのは、木村伊兵衛写真賞の候補になったことすらあるカメラばあちゃんこと増山たづ子の落ちたツバキの花房の写真がきっかけだった。増山は言う。「ツバキはね、こやって下へ向いて笑っとる。みんなこんなふうにしてな。落ちても笑っとるの(1)。」生まれた村がダムに沈むその日まで、写真を撮り続けた増山の言葉は重い。

 逆に、セレクトしていなかった「落とし物写真」もある。空き缶の写真だ。なぜなら、空き缶は私のなかでは「捨てられ」なのだ。けれど、これもささいなきっかけで撮り始めた。それは石元泰博の『刻(2)』にあったつぶれた空き缶の写真を見たからである。相手は大御所で、私などこの人の撮った写真に匹敵する写真なぞ生涯ただの一枚も撮れないだろうがそれでも、「くそー!悔しい!こんなのどこにあったー!!!こんな風に撮るなんてずるい!」と嫉妬心が沸々と湧き上がってくる一枚だった。以来、対抗して、つぶれた空き缶もいい感じのは撮っている。分類名は「ライバル」(全世界の石元ファンの皆様ごめんなさい)。

 そのついでといいますか、分類名「埋没」シリーズで、工事中にアスファルトに埋まってそのまま固まってしまったのだろう、空き缶のタブも撮っていたら、タブの外れた空き缶の口の部分の方がアスファルトに埋まっているのは石川竜一さんが2019年のリボーンアートフェスで展示(3)していた。現役だからか、何回か少しお話させていただいたことがあるからなのか、同じ空き缶のはずなのに「これ、ありますよね~」という感想しか浮かばなかった…。それより、展示会場は震災以来使用していなかった病院の一角だったのだが、その写真の前に琥珀のピアスが落ちていたので、撮った。(石川さんの展示の一部ともとれるので、セレクトはできないが。)石川さんに見せてみたら、「もともとあったものは基本的にそのまま残しているので、もしかしたらもともとあったのかもしれない」といったようなお答えでした。なお、展示初日の早めの時間なので、その日誰かが落とした線は薄いはず。ちなみに、石川さんには、私の分類ではやはり「埋没」シリーズで、すておかれ、ツタ系の植物の生えたヘルメット(4)などもある。

 ちょっと脱線してしまった。適わない、シリーズで行くと、今度は正真正銘の落とし物のはずだが、30年以上、地面ならぬ水面を撮り続けた森永純の波の写真のなかに含まれる、人形や手袋の写真。ただでさえ、森永の写真なんてユージン・スミスじゃなくても涙する(泣く理由はそれぞれかもしれないが)のに、人形なんて反則である。佐伯剛さんのYouTube動画に登場してくる。なお、波に涙しても落とし物には涙しないが、今まで見たなかで一番哀しい落とし物写真である。

 日本写真史のなかで人形といえば、やはり落とし物ではないものの、棄ておかれたものではある、岩宮武二のマヌカンを挙げないわけにはいかないだろう。岩宮は意匠をふくめた物の悲愁を追い続けた作家ではなかったか。

 また、撮っている写真は落とし物ではないだろうが道にも(大抵粉々になって)落ちている、ガラス瓶を撮らせたら右に出るものはいなかったと伝説される写真家として杉山守も忘れられない。

 またまた逸れそうになっている。たしかに落とし物は「あわい」にある。アジアを放浪し土地をふくめ死生を撮ってきた藤原新也さんの写真にはときに、「落とし物」が写り込む。『メメント・モリ(5)』のわらじを見よ。『バリの雫(6)』の落花・落葉を見よ。ほか、藤原さんはよく、生活用品を単独で撮ったりしている。それらは地べたにおいてあったりする。『メメント・モリ』でも洗面器の写真に「ひとがつくったものには、ひとがこもる。だから、ものはひとの心を伝えます。ひとがつくったもので、ひとがこもらないものは、寒い。」とことばをつけている。

 また、よく見かける片方の手袋を写真家が撮るとこうなるという例としては、独特のエロスとタナトスを描いた原芳市の『光あるうちに(7)』が挙げられる。雨後の歩道橋で奥には水たまり。パースペクティブを構成する金属製の手すりにぴったり合った鋭敏なピント。そこにかけられた片方の手袋。一枚の写真で雄弁である。

 ここまで日本の写真史のなかで落とし物写真をさがしてきたが、ここで少し目先を変えて、海外に目を転じてみよう。といってもあまり知らない。冒頭で述べた通りまともな写真になかなかあたれないのは、写真集へのアクセスのしにくさでもある。写真集は滅多なことでもなければ再版されない。文字が少ないし高額だから図書館にもなかなか入らない。個人でも購入しづらい(値段以外で意外と大きい理由として、本棚に収まってくれない…)。と、日本の写真集でもこのような状況であるとき、海外のものは言うもさらなりである。

 などともっともらしい言い訳をしておいて、例示するのは、ポール・マッカーシーの『プロポ(8)』である。これは飯沢耕太郎さんの『危ない写真集246(9)』からの孫引きである。写っているのは「ゴミ捨て場から拾ってきたと思しきプラスティック瓶、人形、仮面、帽子、用途不明のパイプなど(10)」とのこと。ポール・マッカーシーは現代アートの作家で、それらはパフォーマンスに使用したものとのことである。

 最近でもライアン・ガンダーの展示(11)では、わざとくしゃくしゃにした本のページを会場内に落としておき、何と、見張りの学芸員さん?が断続的に位置を変えたり戻したり、一回広げてもう一回くしゃくしゃにしてまた戻したりしていた。ライアン・ガンダーの展示自体、金属性の人形を、街の片隅に落ちているかのように展示してみたり、生活環境としてのストリートへの観察が光っていた。ちなみに、天井に風船も展示物として配置してあり、持ち主とはぐれてしまったという意味で、また「高みへ落とす(12)」という意味で私も、天井に「落ちた」風船を撮っているのは、ライアン・ガンダーの影響であると勝手にあやかっておく。(関係者のみなさん、ごめんなさい。)

 落とし物は、海外の場合は現代アート、そのなかでもとりわけ前衛やストリート、もしくはアウトサイダー・アートが、落とし物よりは「ゴミ」への注目から見いだしてきた対象であるとひとまずは言えるだろう(と言いたいが、本当のところはやはりわからない。とにかく世界は広い…。北半球だけではなく、南半球もあるのだ…)。

 写真への落とし物の登場から、社会背景を読み解くことは可能だろうし必要だろう。だがその前に、つまり私は落とし物から透けて見える社会の在り方の前に、落とし物自身の不透過性の前で立ち止まりたい。

 
【註】

(1)増山たづ子『すべて写真になる日まで』小原真史・野部博子編、IZU PHOTO MUSEUM、2014、p. 367.

(2)石元泰博『刻』平凡社、2004.

(3)石川竜一「痕」リボーンアートフェスティバル展示作品、鮎川、2019.

(4)石川竜一「宜野湾 2014」『絶景のポリフォニー』赤々舎、2014.

(5)藤原新也『メメント・モリ』情報センター出版局、1983.

(6)藤原新也『バリの雫』新潮社、2000.

(7)原芳市『光あるうちに』蒼穹舎、2011.

(8)Paul MacCarthy, Propo, Bulfinch, 1991.

(9)飯沢耕太郎『危ない写真集246』ステュディオ・パラポリカ、2005.

(10)飯沢耕太郎『危ない写真集246』p.232.

(11)ライアン・ガンダー展、国立国際美術館、2015.

(12)シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』。ヴェイユが言っているのは翼の話。

【参考文献】

『フジフィルム・フォトコレクション展』図録、富士フィルム株式会社、2016.

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