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8月20日、三十年戦争の傷跡を癒すかのように美しいリュートの響き... 現代にも響く...

アメリカ出身のリュート奏者、ウィリアム・カーターの演奏で、17世紀、ポーランド、ドイツで活躍したリュート奏者、ロイスナーの『リュートの楽しみ』から、3つの組曲を取り上げる...

エザイアス・ロイスナー(1636-79)。
三十年戦争(1618-48)の只中、ポーランド、シロンスク地方(当時は神聖ローマ帝国領... )、ルブベクで、ドイツ系のリュート奏者の父の下に生まれたロイスナー... 7歳の時、一家は、戦争で荒廃したルブベクから離れ、前線から少し離れたシロンスクの中心都市、ヴロツワフに移る。ここで、父からリュートを学び始めたロイスナーは瞬く間に才能を開花させ、10歳にして、三十年戦争中の芸術家たちの疎開地、グダンスクにて、ポーランド王妃の御前で演奏を披露、注目を集める。12歳の時、戦争が終結、14歳になると、ポーランドの大貴族、ラジヴィウ公(リトアニア系)の公女に仕える機会を得て、公お抱えのフランスからやって来たリュート奏者に師事、研鑽を積む。その後、シロンスクへと戻り、1655年にシロンスクのブジェク公に仕え、1672年から翌年に掛けては、ライプツィヒ大学でリュートを教え、1674年からはブランデンブルク選帝侯のリュート奏者として活躍した。

というロイスナーが、1667年にまとめた『リュートの楽しみ』、そこに収められた組曲、13番、9番、11番を聴くのだけれど... フランス式、舞踏組曲のフォーマットで、リュートの古雅な音色を活かす、静かに、訥々と語るように繰り出される美しい音楽、惹き込まれる。で、これが、どこか夢見るようで、儚げでもあり、メランコリック?厭世的?

当時のドイツの人口の1/3が失われたとも言われる三十年戦争(1618-48)... その戦場となったロイスナーの故郷、ルブベク... ロイスナー少年は、戦争の惨禍を目の当たりにしただろう... また、平和が訪れても、中欧は疲弊し切っており、そうした中で生み出された音楽に、メランコリーや厭世が窺えるのは、また必然だったのかも... で、興味深いのが、このメランコリーと厭世にドイツ・ロマン主義の種を見出せる気もして...

そんなロイスナーの作品を聴かせてくれたカーター。一音一音を慈しむように爪弾いて生まれる、やさしい響き... リュートならではの澄んだ音色で、ロイスナーの切なげな表情を輝きを以って紡ぎ出す。いや、このキラキラとしながら切ない感じ、惹き込まれる。で、とても現代的にも感じられるのだよね... 当時と現代が重なるか?

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