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ノイズをキャンセルするのは、自分。



わたしは無音が苦手だ。

なぜか?

頭のなかになにも入ってこない状態は、ソワソワしてしまうから。

学生のころ勉強しているとき、よくラジオをつけていた。
誰かが話している声が聞こえてくると心底ほっとした。
だから、基本的にリビングで宿題をしていたし、
ファミレスで集中すればするほど、
どんどんと騒音が遠のいていく感覚も好きだった。

だけど、最近は、考えることをさえぎるために、音を聞いていた気がする。

お料理しているときも、洗濯ものをほしているときも、
1人でごはんを食べるときも、
いつもいつも、ドラマとか映画とかつけっぱなしで。
音を垂れ流しては、なにか考え始めるあたまを強制的にとめたかった。
・・・ような気がする。


集中するために、音を聞いていることと、
考えないようにするために、音を流しているのとは
全然いみが違うということに、最近きづいた。

音がないとソワソワする。
音がないと、いてもたってもいられない。
見るべきものを、みなければいけないから。

なにから逃げたかったんだろう?

それは、自分がキライなじぶん。

でもね、そこをいやだって逃げ続けてたら
時間だけが過ぎていってた。

本当に変わりたいなら、
ぜんぶ自分だってこと、認めるほかに手段はないんだって、
同志の言葉に気づかされた。
なんてありがたい、同志なんだ。

今度は、同志が先に進んでいくのが目にみえて分かって
焦る、あせる、だから、なんとかして答えを出そう、急ごうとしていたけど
今こそ、丁寧にむきあうときかもしれない、と思い始めた。


愛されないと生きていけない。

無意識におもいこんでいると気づいたこの概念をとっぱらいたい。

だから、音を垂れ流してるって気づいてから
意識的にとめてみる時間をつくってみた。

1分からはじめた。
怖いって思っているのは自分だけで、怖くなったらやめればいいの。
そこでいい子ちゃんに、まじめにならなくてもいいの、ってじぶんに言い聞かせながら。
だって、誰も見てないんだから!
わたしのこころの安全を1番に考えていい!

だんだんと、無音の時間をとれるようになってきて、
スマホでアプリを開こうとしたとき、これは本当にいま必要?って
問いかけられるようになってきた。

必要!って思ったら、迷わず音を選ぶ。

今はいらないや!って思ったら、
聞こえてくる生活音に耳をすませてみてる。

そうしたらね、
好んでくりかえし見ていたドラマのセリフ、
ココが響いていたんだ!とか。
愛されたいって思ってるけど、愛ってなんだ?って考えていたら
今年の5月に東京へ、ルーブル美術展見に行ったとき、
絵画に感じていた嫌悪感と高揚感のちがいを思い出して・・・。
愛ってきれいなものだけうけとろうとしていたな、とか。

綺麗ってどういうことだろう?って
また、辞書をひいてじぶんの意味を見出したり、できた。

じぶんに集中するためのノイズは、じぶんでキャンセルできる。


いやだなぁとか、つらいな苦しいなとか、
イライラするとか、我慢しなきゃとか、
そういうもの全部に耳をふさいで、目をそらして
ノイズに包まれて生きていくのも悪くない。


だけど、わたしは
ど真ん中のじぶんで生きていくって決めたから。

心のままに、心地よく、わたしを表現して生きる。

そこに向かって行動してみるだけなんだ。
その一歩が、ノイズをキャンセルすることだっただけ。

もう少しだけ、無音の世界で
あたまのなかを、味わってみる。


ただ、つぶやいただけ。


星のながれとともに生きるを紡ぐ。

2023年9月18日、月は天秤座。
コツコツ向かう流れの中で、今をみつめる配置。
衝動的にもなりやすいけれど、想いをとりつくろわず、
丁寧に言葉にした場面もあった、そんな日。

じぶんで自分をしあわせにする
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