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第18回 タコス・バー 恵比寿

メキシコには日帰りでしか行ったことがない。アメリカのカリフォルニア州やテキサス州の国境近くのの町に滞在し、そこから着の身着のまま出かけることができた。国境のリオ・グランデ川を渡ると景色は激変する。建物は朽ち果て、人々の服装も質素だ。英語のワンツースリーすら通じないのに、日本語の卑猥な言葉を発して客引きが押し寄せる。家の軒先で何か売っていると近づくと入れ歯だったりして驚く。もしかしたら歯科医院なのかもしれないいと後で考える。とんでもないところに来たなあとさらにずんずん進むと、公園らしき広場に出た。平日の昼間なのに多くの成人男性がその場でごろごろと寝そべっている。
 
アジア圏で経験しているとはいえ、劣悪で、少々剣呑な環境の中、少なくともどこかでメシを食わないとと人通りの多そうなエリアに向かっていると、タコスらしきものを売っている屋台に出くわした。記憶はもうあやふやながら、シュラスコのように串刺しにして立てた肉から肉片をそぎ落とし、鉄板で野菜なとと炒める。傍らではタコスの皮にも火が入れられ、そこに肉片を載せ大きなボウルから大量のパクチーを取って加える。パクチーから一斉にハエが飛び去る様はかなりエグくてそのシーンを鮮明に覚えている。にしても、とんでもなく美味しかった。そして、多くはアメリカ経由で入ってくる日本のタコスとは全く別物だった。
 
三軒茶屋で評判を取っているメキシコ人オーナーシェフの『ロス タコス アスーレス』が、2号店という形ではなく新たなコンセプトで日本人にタコスを提供しようと試みたレストラン『タコス・バー』は、2022年晩秋に恵比寿にオープンした。前を通って新規開店に気づき、その後に訪問したのだが、シェフにもマダムにも、最初に三茶の店は行ったことがあるのかと聞かれ、ダイレクトにここを目指してくる客は珍しいのかもしれないと感じた。恵比寿から渋谷への線路に沿った山手線外側の道。比較的よく歩くのだが、以前は飲食店ではなかった気がする。。
 
ここは、『タコス・バー』と称されるが、決してカジュアルな店ではないし、バーと言ってもアルコール中心でもない。最初に、三茶に行ったことがあるかとか、初めてかなどの質問を繰り返したのは、そういった誤解が、恵比寿の路面店として、あるのかもしれない。
 
カウンターに座ったら、いかにもラテン系な男前のシェフが前に来て、抜群に流暢な日本語で、当店は焼津の前田さんから日々仕入れて、その魚介を使ったオリジナルのタコスを提供していますと説明。サスエ前田魚店はよく存じてますよと返すと、今までのシェフの緊張がフッと消え目が輝き出す。
 
マダムからの解説も合わせると、ワインも含めて全て日本産のものを使うことにこだわっている。だが肝心のトルティーヤ用のトウモロコシだけは、日本にまだ最適なものがないので輸入に頼らざるを得ないと残念そう。加えてアボカドは輸入だそうで、自分の思い描くアボカドを国産に求めると、コースが5万円ぐらいになってしまうと、ジョークも飛び出し始めた。
 
スタートは、その日前田さんから届いた魚をメキシカンなソースでマリネしておき、直前に塩で味を調えて揚げたトルティーヤの上に載せる。シェフはセビーチェと称したが、既知の魚の味と香りに南米としか認識できないフレーバーとテイストが加わって新しい扉が開く。なんというおいしさだろうか。冷たいものが一段落すると、徐々に鉄板で温められたトルティーヤに移行。火とスパイスで調理した魚介類をそれに載せ、爽やかさ以外は全て違う表情を見せるサルサヴェルデを添える。サルサ、つまりソースが料理の最終的な骨格を決めるのは、世界のどの料理においてもシェフの力量に比例することに納得。
 
シェフ曰く、メキシコのワインは重いので魚介には合わない。いっぽうメキシコではフルーツウォーターとこういった魚介を食べるので、そこに日本のワインをセレクトしてみたと。若干物足りない日本のワインもフルーツウオーターと理解すればいいのか。目が覚めるようなマリアージュだ。
 
ダイニングの大半は外国人で、日本語は聞こえてこない。メキシコで出会ったシェフのパートナーと紹介された日本人女性が、流暢な英語を駆使して一人で仕切る。目配り気配りもそつがなく、大変に心地よい。だが『タコス・バー』では、ナイフフォークなど一切出さず、〆の粽とデザート以外全て手で食する。最初に清潔なおしぼりは提供されるものの、テーブルクロスもナプキンもない。これでサービス料10%というのはどうかなあと、少々思ったことは、こっそり書き加えておこう。
 
 
タコス バー(TACOS BAR
東京都渋谷区恵比寿西2-7-1 スズキビル 1階
050-5600-0503
 

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