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あがり症

いやー、ほんとにあがり症な私。
先日の文章塾でも自分のエッセイを音読するのに、すっかり上がってしまって息ができない、声がうわずるわで、散々な音読に。

昔から変わらずで、小学校の国語の時間に「ここからの文を読んでください」と先生にいきなり当てられ、漢字でつまずく、文字を追えずたどたどしい、自分の読みやすいように文章を変えて読む、同じ行を読んでアレ?って文がおかしくなる、こんなふうにうまく読めなかった記憶が未だに残っている。その失敗のせいで苦手意識がついたのかはわからないが、人前で発言すること自体が苦手。自分の声を聞いてさらに上がってしまう。

文章塾終わりに先生へたずねてみる。
どうやったら上がらないんですかと、、。
講演も多数、コメンテーターとして地元のテレビにも出演している先生にそのお喋りのうまさと、堂々としているというよりは日常会話と変わらないほどの落ち着いた物言いのコツを聞いてみたい。そう思ったからだ。

先生は、家で何度も読んで頭に入れるからというようなことをおっしゃった。

前にも他の方へ同じ質問をしたことがあったが、その方は「慣れだよ、何度もそういう経験をすれば場になれる」と言った。
「聴衆の視線を感じるから緊張するんだ、聴衆は芋だと思え」なんて言う方もおいでになった。

芋じゃない、人だ、、。
励ましてくださる言葉にわかったような、でもまだ私にはそれ以前の何かが抜けているような、、。
と、今日のことをふりかえる。
文章塾ではもう皆さんとおしゃべりするから、全く知らない人というわけではない。それどころか、好意的に耳を傾けてくださる。
なのに、緊張する。
せっかくの機会なので、この塾であがり症を克服していきたいなあと思った。

帰りに本屋へ寄り、いろんなコーナーを眺めていると、「気の呼吸」という本を見つけた。
あ、これかもしれないと思った。
最近、巻き肩も改善して姿勢に気をつけているところ。「左脳さん右脳さん」という本で呼吸を使って意識を脳からお腹へ降ろすということも読んで以来、ちょっとずつ変化を感じる日々も味わっている。自分が使っている体に目を向けだした近ごろ、気の呼吸に興味があった。
本の帯にも、人前に出ると上がってしまう、緊張して体に力が入ってしまう、冷静さを失ってしまう、そんなあなたの必読書とある。
ふむふむ。
さっそく購入し、その晩一気に読む。
読み終えるとワクワク感があった。著者はアメリカの野球チームドジャースでもこの方法を指南した経験もおありのよう。確かにスポーツ選手だって実力はあっても本番に上がってしまえばエラーになる。焦れば焦るほど気は落ち着かない。
私の音読と一緒だ。
そんなときでも落ち着いてプレーするには気を下げる呼吸、方法が書いてある。

“気”は心と体と一緒で大事とたしかにいままで感じる場面がなんどもあった。
人間のカラダやココロっておもしろいなあとおもう。

翌朝、もう一度読み、さっそく始めている。
方法も丁寧にかかれているが、何よりも気を下げる吐く息の例えとして出されていたのが、山頂で絶景を前に「はぁ〜」と深くつく息、美味しい食べものを味わったときに「はぁ〜」と吐く息だった。
想像し、息を吐くと確かに肩の力が瞬時に抜け、気が腹の方へ下がったように感じる。これが入り口。
これなら頭で何秒吐くとか数えず、イメージもしやすい。食いしん坊な私にも合いそうだ。
それに運よく、自然の景色がひろがる土地で暮らしている。
目を閉じ、風を感じながら続けてみようと思う。

不思議と失敗も体験できる心と体に感謝を感じている。緊張しいである自分もおもしろいなと思える。
長い目で自分とつきあうことにします。
もし、この先どこか発言の場で声がうわずっていてもどうか温かく見守りください。気の呼吸を練習中です。


※写真は昨日、税務署での講習帰りにひとりで食べた好物のお好み焼き。このときも思わず「はぁ〜」と至福の息がこぼれた。これこれ。


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