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ドライブの末

 先日、山形からひとりで帰る際に東京や神戸にも泊まり、のんびりと南下しながらもどってきた。
 東京でレンタカーを借りて、行くあてもなかったが、ふと富士山を見に行ってみよーと思いたつ。飛行機から目にしたことはあるけれど、間近で眺めたことはない。
 父が20代のころ(まだ独身のとき)、富士山の見えるところで暮らしてみたくて静岡に住んでいたという話を思い出したからだ。毎日、富士山に向かっていくように自転車をこいで仕事へ行っていたと聞いて、うらやましいなあと感じたのを覚えている。

 話を聞いたのも父が脳梗塞になってからなのでほんの数年前。一緒に暮らしたことがほとんど無いため、父がどう生きてきたかはおろか、好きな食べ物が何かさえ、私は知らなかった。
 富士山を目指して、高速道路は使わず下道でのんびりと、カーラジオを聴きながら走る。小雨が降っていたが、どこもかしこも桜は満開でとてもきれいだ。行き先はおおよそ麓ら辺、カーナビでは2時間半とあるが実際は寄り道もしてもっとかかった。
 しかし、近づくにつれて霧が深くなり、富士山は見えない。裾野も見えないので、どっちにあるのかもわからない。地図と方角を照らし合わせて、たぶんこっちだろうなと目を凝らしてみるけど、存在を感じるような何もないような。
 そもそも、富士山ってどの辺から見るの? と、とっさにネットで調べてみたけど、よくある富士山の絶景ポイントはいまいちピンとこない。広範囲にわたる雨だったこともあり、それ以上探すのは諦めた。

 近くの風呂屋へ入り、露天風呂に浸かった。パンフレット写真では露天風呂の眼前に大きな富士山が広がっている。淡い期待を持ち、しばらく浸かった。雨も上がり、霧がはれそうなときもあったが、とうとう富士山は見えなかった。
 後日、知人にその話をしたとき、ふと気づいた。
 絶景ポイントで見る富士山も良い景色だろうけど、このとき、見たかったのは、父が見た生活の中の富士山だったんだと思う。富士山の大きさを肌で感じてみたかったのだろう。
次、父に会ったときに、どこで暮らしていたのか地名を訊いてみようと思う。会話がうまくできれば。
それまで富士山はお預け。


写真は風呂屋の駐車場にて。(風呂屋はとても居心地のいいところだった。広い座敷の休憩所があり、食事やお酒もある。地域の人たちがよく集まっていた。)

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