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『水星の魔女』の「許され」ペア写真と、テレビアニメというものについて

スレッタ、ミオリネ、そして御三家の3人を並べれば、そこはまるでアスティカシア高等専門学園。さらに“ロミジュリっても”許されてしまうのが「てのひらシリーズ」の良いところ。スレッタ×グエル、ミオリネ×シャディク、スレッタ×エランなど、好みの組み合わせで飾ってもらいたい。

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 上記の表現、および事例画像が「公式カプを否定している」ということで一部で不評のようです。個人的には「“ロミジュリっても”許されてしまう」という表現そのものが寒くて仕方がありませんでしたが、『水星の魔女』なんて初めからその程度の作品と思わなくもありません。


 バズ狙いで同性婚ばーん!
 でも同性愛とかやりません、明確な同性愛者キャラクターも出しません、ばーん!
 シリーズ構成が大河内一楼ですかぁ、そりゃそうでしょうなぁ。
 …そんな感じでハイ、終わりです。


 ただ、テレビアニメ全体として考えると、キャラクターを多数登場させて、消費者になるべく自由に扱ってもらうというスタイルはかなりメジャーな慣習となっているのは確かです。そのため、異性同性問わず作中登場人物にきちんと恋愛成就させる作品は、近年だとやや少数派になっております。

 もちろん、例外も多いのですが、そういった恋愛成就させない傾向はノベル原作アニメを見ていてもよく観測でき、テレビアニメ1クールが終わったところで結局主人公が最後に誰とくっつくのかようわからんままな作品もけっこう多いです。

 これがソシャゲアニメとなると、実際のゲーム上でプレイヤーにお気に入りのキャラクターを愛でて 課金して もらおうとする都合上、アニメ版がノイズにならないよう更に恋愛要素が脱色されがちです。良いか悪いか関係なく、そういうものなのです。

 ですので、基本的に「テレビアニメなんてそういうもの」という前提で楽しむべきであるというのが私の考え方ですが、時としてそういった感覚が通用しないケースもあると言えばあるでしょう。

 『水星の魔女』という、「ガンダム」の看板を使って好き勝手やったシリーズ汚点アニメに、近年のテレビアニメの慣習がそのまま使えるかどうかは、やはり厳しいところではないでしょうか。新規のガンダムシリーズはいかに過去作の要素を再現するかに腐心することが多く、過去のシリーズで作中登場人物の恋愛や結婚が描かれてきた以上、近年のテレビアニメ全体のノリを消費者に求めるのも酷ではあります。また、「同性婚」という、「同性愛」よりも政治的メッセージ性の強いものを、『水星の魔女』が極めて軽率に取り入れたことも、キャラクターの自由な組み合わせの許容度を大きく下げる一因になっていると言えるのではないかと思います。



【本記事以外の筆者『水星の魔女』ブログ記事】

【本記事以外の筆者『水星の魔女』note記事】


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