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願いが叶う、その日まで。

普通にブログ書こうと思ったら
小説っぽくなりました。



こんなに願っても叶わない

そう思う時があるだろうか。

今日はそんな話。

願いが叶わなくて絶望しているなら
願いが叶わなくて憤っているのなら
願いが叶わなくて諦めてしまったなら

その感情全てを感じきることだ。
その絶望を
憤りを
諦めて退屈に浸る日々を

ただ、ただ、ただ、ただ、ただ感じる。

その現実は自分にとって苦しいと
感じるものだろう。

今すぐにでも逃げ出したくなるかもしれない。
目の前にある手近かな何かで
気を紛らわせたくなるかもしれない。

でもその前に。

その感情の中に自分を浸らせる。

なんでそんな苦しい事をするのかって?

簡単な事だ。
その願いが叶った時、

今ある苦しみは消えてしまうから。

その苦しみを感じられるのは

願いが叶っていない今だけなんだ。

この地球で願いを叶える為には
タイムラグがあるという。

君はすぐに叶ったら良いのにって思うだろうか。

もしも願いが瞬時に叶う場所ならば
取り返しのつかない事が起きるかも。

どんな事かはすぐ想像出来るはずだ。

願いが叶うまでに少し時間がかかるからこそ、
いい事もある。

願いを修正できるんだ。

簡単に例を出そう

君が何か食べようかな?と思った時。

君には猶予が与えられる。
考える猶予が。

何を食べるか?
テーブルセットはどうするか?
どこで食べるか?
それは何時間後だろうか?

もしかすると
今すぐ食べるより、
目の前の作業をやってからの方がより
空腹感も強くなり
達成感と開放感を感じながら
食事を楽しめるかも。

こんな風に。

もし願ったものがすぐ叶ったら
きっとそれをしっかり感じようなんて思えない。

だって、どうせまた一瞬で叶ってしまう。


叶ったものを前にしている時に
一瞬浮かんだ別の思考が
即座に反映されてしまったら

喜ぶ隙間もなく
ただ己の願望に急き立てられて

きっとそのうち無感情に眺めるだけになる。

感じる心も隙間もなく
ただ映し出された現実に君は満足できるのかい?

ようやく手にしたものだから
感じられるものがある。

きっと、
苦しみ抜いた先に見えるものもある。

こうやって考えると
タイムラグも悪くないでしょ?

でも、無理をしろって訳じゃない。
感じることに疲れたら
横に置いて放って置けばいい。

そのうち必ず神様が答えをくれる。

だから叶わぬ願いがあるのなら

それが叶う時までの

余白の苦しみさえ
楽しむ事をおすすめするよ。


最後にひとつ。

その苦悩を感じられているうちは

君はまだ人間だ。

その尊い人間性を忘れないで。
君が生きてる間いつまでも

どうか
そのどうしようもなく悩ましい心と共に
人生を楽しんでね。

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