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大人の遊び場「シェイプ・オブ・ウォーター」その②






こんにちは⭐︎






「ザ・あそびば」です♪





今日は昨日に引き続き






ギレルモ・デル・トロ監督の






「シェイプ・オブ・ウォーター」






について考察していきたいと思います。





昨日よりもガンガン詳細にネタバレしていきますので






まだご覧になっていない方はご注意ください。





どれぐらいネタバレするかというと





文春がモザイクつけないといけない所まで





4Kで映し出す






ぐらいネタバレします。






頭から爪先まで丸裸にしていきますので。





どれぐらい丸裸かというと






「クロちゃんの私生活」





ぐらい丸裸です。






もう部屋の中からTwitterの真相から人間関係まで





丸裸です。






これを読み終わったあなたは






ある種「もうシェイプ・オブ・ウォーター観なくていいや。」ぐらい、





むしろ「あそびばさんありがとうございます。映画1本観ました。1900円払います。口座番号教えてください。」





ぐらい「シェイプ・オブ・ウォーター」が理解できる濃い内容になっていると思います。






どれぐらい濃いかというと





おぼっちゃまくん









北斗の拳のケンシロウ










両津勘吉






の3人の眉毛を足したぐらい濃いです。






練乳とマヨネーズ混ぜて二郎系ラーメンにかけたような





固め・濃いめ・多め






の三本柱でお送りして参りますので






胃もたれにご注意ください。





さて、この「シェイプ・オブ・ウォーター」の冒頭

※いきなりネタバレいきます。






ラストのオチを描いています。





実は映画というのは






「無駄なシーンはなるべく描かない」





という鉄則があり





裏を返せば





「全てのシーンに意味がある」





ということなんですが




映画だけでなく全ての脚本に置いて






物語というものは






「起・承・転・結」






もしくは





「結・起・承・転・結」






の2パターンしかなく







「シェイプ・オブ・ウォーター」の冒頭で描かれているシーンにおいては





「オチ、もしくはラストの方でこのような展開になりますよ。」






といった






「結・起・承・転・結」の






最初の「結」






の部分にあたるのです。






なんで「起承転結」ではなく





「結起承転結」型のストーリーとあそびばがわかったかというと






見てください





























結ばれちゃってますよね。






もう、「愛」成就しちゃってますよね。






まごうことなき






いちゃこらカップル爆誕






してますよね。






なので、






このポスターが出た時点で結末はわかってるんですよね。






ただ






「果たしてどんなふうに半魚人と人間が結ばれるのか。」





「半魚人と人間が互いに惹かれ合うような理由はどこにあるのか。」






というところに焦点がいくのです。






ってか「そこに焦点を合わせろよ。」






とギレルモ監督は言っているのです。






からの冒頭のシーン。






簡単に言うと






ヒロインの部屋が水中にあり






部屋のものもベッドもプカプカ浮いていて





ヒロインもその水の中でプカプカ浮いて寝ている。






でもそれは起きたらヒロインの夢だった。







というものです。






賢明な読者の皆さんはおわかりかと思いますが





そう





これヒロインも人魚になる(水の中で生活できるようになる)の確定じゃん。





ということなんです。






なんで確定かというと






「意味のないシーンを入れない」が映画の鉄則







だからです。






どの映画も





だいたい100分前後で戦っている(勝負している)ので





意味の無い幻想的なシーンとか1秒も入れているヒマは無いんですよね。






逆にストーリーが長い映画は






お金がたっぷりある制作会社が作っているか






小説が原作か






のどちらかです。






前者は最近だとサブスクに代表されるような





「儲かってまっせ」系映像配信会社のオリジナル作品に多く






制作側がやりたい事詰め込み過ぎて





お湯を入れ過ぎたカップラーメン






ぐらい間延びしています。
(脚本自体は良いものが多いんですけどね。これまたお金があるから脚本家にお金かけれるからなんですけどね。)






後者だとそもそも小説自体が校正を繰り返され





限界まで削ぎ落とされた






ビキビキ、バッキバキの減量極限・試合直前のボクサーのような状態なので






それ以上削ぎ落とすのは不可能なんですね。





なので3部作等になる事が多いんです。





逆に原作があるものを1本の映画で表してしまうと






失敗する事が多いですね。





話を戻して







「シェイプ・オブ・ウォーター」なんですが






もう一度言うとこの映画は






「結・起・承・転・結」型の脚本で描かれており






冒頭のヒロインが水の中で眠るシーンが






ヒロインがゆくゆくは水の中で過ごせるようになる事を示唆しています。







しかもこの冒頭のシーンは、単純にヒロインが水の中にいる、というものでは無く





ヒロインとヒロインが生活しているベッドや家具など部屋そのものが水の中にある、という画にする事で





ヒロインが水の中で生活する事になる、という未来を暗示しています。







例えばこの冒頭のシーンが







水の中から魚を取り出してシメ、朝食にする、という画を印象的に(演出感たっぷりに)描いていたとすると






ヒロインが半魚人である主人公を(故意であれ事故であれ)殺してしまう、もしくは致命傷を負わせてしまう







という結末に向かって進む事になります。






話は逸れましたが






ヒロインが水の中で眠っている夢、のシーンから始まり







ヒロインは目が覚めると朝の身支度、正にヒロインのモーニングルーティーンのシーンが始まるのですが





その中で鏡を観たときに首にある傷が映し出されます。







その傷の形が












なんです。







いやもうホントに











なんです。










エラやん。








コレもうエラやん。










このエラ型の傷がパックリ開いてエラ呼吸出来る様になるやん。







そうなんです。








そうなります。






とあそびばは冒頭5分ぐらいのシーンで全ておちまで読めてしまいましたが








多分ギレルモ監督わかってやってます。









お前らこの2人は結ばれるからな(ポスター)。






お前らこのヒロイン水の中で生活できるようになるからな。






なぜならこの首の傷見ただろ?エラの形だろ?そう、エラ呼吸出来る様になるんだよ。








でもそんな事は重要じゃ無いんだ。







重要なのは「結果」じゃなく「過程」なんだ。







2人がどうやって愛を紡いだのか






その「過程」を観て欲しい。






と。





そうなんです。







人間であれ半魚人であれ







2人の男女が出会って愛を紡ぐ映画なんて








五万とある、と。






この映画はそんじょそこらの恋愛モノとは違うんだぞ、と。










まあ、おわかり頂けましたでしょうか。







今2500文字ぐらい書いてますけど






この映画の冒頭5分のシーンしか語ってません。





しかしそれぐらいこの5分にはこの映画の全てが詰まっており






ポスターにも描かれている、あの美しいラストへと繋がっていくのです。







それはどのように紡がれていくのか









その「過程」は是非皆さんの目で確かめてみてください♪



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