昔日の呉智英先生へ

 僕は呉智英という評論家が好きです。それは、氏がかつて『BSマンガ夜話』において、業田義家『自虐の詩』に対する狂信的とも言える思いを披瀝されて以来のことで、その時、氏が熱弁を振るいながらとても幸せそうな顔をしているのを見て、「ああ、よろしいな。」と思ったのです。夏目房之介氏とともに『復活!大人まんが』を出されたことも尊敬している理由の一つです。
 しかしながら、呉智英・高橋春男「ギャグマンガ恫喝対談 啓蒙するマンガは焚書にせよ!」(『宝島30』1994年3月号)における氏の発言には、いただけない点がありました。それはすでに伊藤剛氏が「大阪は「ぼのぼの」やねん。 『あずまんが大王』から見た萌え、四コマ、マンガの現在」(『ユリイカ』2005年2月号)で指摘されている点でもあるのですが、伊藤氏は『ユリイカ』という場で書かれている以上、僕のような書き方は出来なかったでありましょうし、また、非常に明晰な文章を書かれますので、論の全体から見て、その前提をなす部分のそのまた一部での指摘である以上、あまりこまごまとした点には触れられなかったと思うのです。
 そこで、雑魚として、呉智英発言について言いたいことを言わせていただこうと思いました。他愛ない発言なので、申し訳ない気もするのですが。
 この対談は、「恫喝対談」という穏やかならぬタイトルからもうかがえるように、漫画家・高橋春男氏を相手に、当時の新聞・雑誌の四コママンガを徹底的に扱き下ろすというものです。
 氏は、冒頭、いきなり「新聞四コマの中では、いしいひさいち(「朝日」朝刊『となりのやまだ君』)しか評価できないね。」などと言われるものですから、「来るな」と身構えてしまいます。しかし、その隙も与えず、堀田かつひこ、植田まさし、鈴木義司、山井教雄、福地泡介、西村宗らを斬って捨てていきます。その後、1980年代の「四コマブーム」の中で面白いのは、いがらしみきお、安藤しげきだとし、ついでのように、対談相手の高橋春男を評価し、今度は岩谷テンホーを斬り捨てます(笑)。
 このあたりは、個人の笑いに対する趣味もありますから、別に反論するまでもないのですが、問題はその後ですね。氏は「植田系のやつって、全部ダメだと思うな。平ひさしだの、宍倉ゆきお(原文ママ)だの、よだひできだの、ほんっとに、つまんないじゃん。」と発言されたのです。
 いただけません。なぜか。
 まず、僕の愛してやまない宍倉ユキオの名前を間違えています。宍倉ユキオは、初期からしばらくの間は「宍倉幸雄」名義で作品を発表していますから、そちらで間違えるならともかく、「ゆきお」とは何事でしょうか。同じく僕の愛してやまない加奈井ゆきおに対しても迷惑です(笑)。
 次に、宍倉ユキオは、「植田系」ではないです。「漫画集団」の近藤日出造、杉浦幸雄、横山隆一、清水崑、横山泰三らが中心となって設立し、後に破産した「東京デザインカレッジ」内の「マンガ教室」(いわゆる漫画学校)の第3期の卒業生で(峯島正行『近藤日出造の世界』青蛙房、1984年)、もともとは「大人漫画」系の画風でした。植田まさしという人は、御本人も話しておられる通り、素人が突如として注目を集めて漫画家として大成したような方ですから、学校で漫画の勉強をしてきた宍倉ユキオとは基礎が違うのです。「植田系」というなら、まずは田中しょうを問題にするべきでしょう。
 最後に、これらの漫画家のどこがつまらないのか、という高橋の質問に、日常の駄洒落の域を超えていないというような結論を下されている点です。僕は、この点について部分的に賛成なのですが、「超える必要はないのではないか」「超えたからすごいのか」「超えたからかえってつまらないのではないか」と考えていますので、結論のところで異なっており、全面的には賛同しかねます。
 四コママンガに対する考え方はいろいろあって然るべきでしょう。いしいひさいちやいがらしみきおを評価する「マンガ世代」の論者には、彼らの「起承転結からの逸脱」を重視し、「ストーリー四コマ」 を従来の四コマの発展と捉える見方が定着しているのですが、本当にそうなのでしょうか。マンガ表現史的には、それらが重要な意味を持つのは理解出来るとしても、それが従来の四コマよりも優ると、本当に言えるのでしょうか。僕はその点を疑問に思っています。
 むしろ、先ほどの呉智英発言の「些細な」とも言える間違いから推測出来るように、本当に限りなくすべてに近い四コマを読んで言っているのか、本当にこの四コマの広大な海を泳いで来たのか、という疑問が湧くわけです。伊藤剛氏に言わせれば、「私たちは、宍倉ユキオを、平ひさしを、よだひできを、ア・プリオリに「くだらないもの」として退けてこなかったか。小本田絵舞や、ひらのあゆや、師走冬子について、どれほど知っているのか。」ということになるのです。
 ただし、この伊藤氏の文章でも注意しなければならないのは、マンガを批評する人々が「退けて」きただけであって、一般の読者は決して「退けて」きたわけではない、ということです。リアルタイムで読んでいない世代に属する僕のような者が、宍倉ユキオや、加奈井ゆきおや、絵里あさこや、むらかみけいじのファンであるという事実まであるのです。
 しかし、彼らはなぜ退けられてきたのか。その理由がわかりません。新聞を中心とした四コママンガの歴史をコンパクトに教えてくれる清水勲『四コマ漫画 北斎から「萌え」まで』(岩波新書、2009年)も、「新聞」中心で、しかも戦前から戦後の作品への比重が大きく、記述のバランスが悪いのですが、彼らには触れていません。「三流劇画誌」や「エロ漫画誌」掲載の作品は視野に入らない傾向があります。
 しかし、それでは四コマの「豊饒の海」を渡ることは出来ないのです。そこにこそ四コマの名篇はあるのですから。僕は恣意的に退けられてきた漫画家たちのために、弔い合戦の気分で、これから四コママンガ(特に艶笑四コマ、お色気四コマ、えっち四コマ、スケベ四コマ)について、少しずつ書いていきたいと思っています。まあ、構える刀は正宗でも村雨でもなく、メッキした竹光ですけれど。しかし、なるべく資料を中心にした記述を心掛けていきたいと思っています。なにしろ四コマの歴史ときたら、まず考察の前提となるはずの資料の整備すらなされていないという惨状を呈しています。大学の先生たちはそういう基礎的なお仕事からなさったほうがいいと思いますよ。それでは「研究成果」にならないような事情もあるのかも知れませんが、学問の基礎を疎かにしないでいただきたいのです。本当に、つまらないことを論じていないで、こつこつと後世のためになるお仕事をしてください。学生への教育とか、就職の指導とか、いろいろ大変なのはわかっています。それでも、僕のような資金も身分も時間もないような者に比べたら、やれることはたくさんあると思います。期待しています。
 では。

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