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変化を受け入れ学び続ける(その3)

昨日の総長のコメントが私がnoteを書いている今とリンク♡

COVID-19影響を心配して、というのが2020年の今の状況であるものの、これも変化のうちの1つにすぎないので、自分の気持ちを大切にしつつも、ぶれずに生きていきましょう。

さて、今日は、社会人が大学院で学ぶための時間の使い方など書こうかと思ったのですが、いや、まてよ。

時間じゃないな、これは・・・

今日は、意味、エネルギー配分などについて書くことにしました。

仕事をしながら学ぶことの意味

文科省の定義では、「リカレント教育」は、”フルタイムの就学と就職を繰り返すこと”とあるのですが、実際には多くの大学院で仕事を持ったまま学び続ける人を社会人学生として受け入れている(寧ろ主流)。

それは、何故か?
最も大きいのは、社会人の仕事経験、仕事以外の経験からの疑問や興味は、研究の始まりになるから。

付随して、研究に必要な調査データの入手について、仕事上のネットワークも含め人脈豊富な社会人は有利なのです。社会科学系の話ですが、研究テーマに合致した調査データを入手するということは、実はかなり難しい。調査データが現実に即したものでないと研究結果は机上の空論になってしまうから。

そして、研究成果を職場や社会へフィードバックすることができる立場の研究者は研究をさらに深めることができる
社会人学生の多くがそのような恵まれた環境にいるのです。

一方で、良いことばかりじゃありません。
経験があるがゆえの確証バイアス(confirmation bias)には要注意!!
研究活動の天敵です。
情報収集の際、意識せず自分の展開したい仮説を支持する情報ばかりを集めてしまい過大評価しがちなのです。

その意味、調査、分析のプロセスを正しく理解することは重要。
大学院はそのための学び場であると思うのです。
指導していただく先生方には特に期待する部分であり、学生側はプロ研究者の指摘を漏れ逃さず自分のものにしましょう(笑)

自分で決めたことだもの

社会人学生の多くの場合は、自分で働いて得たお金を使って学費を払うでしょう。
他にも使い道はある中の選択をしている訳です。

これは、金銭的なことだけではなく、時間もそう。
多くの社会人学生がフルタイムで仕事をしつつ、学生生活を送っている。

「本当に両立できるの?」

入試説明会や入試の面談では、ものすごく確認される重要なポイント!
この人は、きちんと研究活動に時間をとって卒業してくれるのだろうか・・・?
学校側、先生方の心配もわかります。しかし・・・

「自分が一番不安だわ!(笑)」

なにより、本人が一番不安なのです。
不安がっている暇があったら、やればよいんですよ。
でも、それなりのエネルギーの使い方っていうのがあるのかなぁ、というのが、ここ2年で学んだこと。

おそらく、自分以外の社会人学生を全うされている皆様の多くがそうかと思うのですが、確実に仕事効率が上がります。
その人なりの合ったやり方があると思うので、一概には言えませんが、私の場合は、とりあえず、仕事のパフォーマンスは落とさない、という程度の軽い目標だけで過ごしてきた。ただ、それだけ。

研究領域のディシプリンについて

修士課程を卒業するために単位が必要とかいうことではなく、圧倒的に基礎知識不足の私の場合、すべての大学院での授業がその後の学びの足がかりになった。これは、本当にありがたいこと。

学問としてのベース

数学、物理、化学などと言われるとピンとくるが、社会科学の領域では何?何?という感じで大学院生活をスタート。
自分の所属研究科の教授陣は、心理学、社会学、経済学、教育学、経営学などを多様な領域の方々で、皆その領域から話をされる。
うーん、頭混乱・・・。
学問分野がディシプリン(discipline)であり、それぞれの学問領域は細かく分かれていて、派閥もある。研究はそれらのディシプリンをベースとして発展している。

私の場合は、そこを抜けるに少し苦労があったのは事実。ただ、これを理解すると、”なんということでしょう(大改造劇的ビフォアアフター風)”

先行研究の書籍や論文の選択の効率が劇的に上がる(ような気がした)

そもそもが複合領域が研究対象なので、幅広い情報が必要になるのですが、文献を読む際に著者の経歴も確認するようになりましたね。
どういった学問を追いかけて研究活動をしてきた人が書いた文献なのか、ということを見ると理解がしやすくなる、という効果が。
今から自分がその伝統的ディシプリンの研究者になる訳ではないと思うと楽です(そこを目指すという方はこのnoteを読まないでくださいね)。
社会人学生ならではの視点で良いのです。新しいディシプリンの潮流に存在していたいという欲望はありますけれどね。

エネルギー配分

修論執筆活動が最も活発になるM2の時期に、なぜか追加で趣味のバンド活動まで活発化させるなどの無謀ともいえる行動をとって、無事卒業できたのはなぜか?

1日は24時間しかないのでね。まずは、時間配分ではない、ということ。

では、仕事、家庭、学び、趣味はすべてエネルギー配分、なのか?

前回記事にも書きましたが、研究の熱意無しには不可能、つまり、元となるエネルギーを作り出していた、維持していた、ということなのかもしれない。
元の生活エネルギーに追加で何かをするためのエネルギーはやはり追加しないといけない。
研究活動自体が、既存の知見をベースに新しい何かを生み出すもので、エネルギー説はなんだか近い気がした。

ただ、人間は弱いもの。
研究活動の併走者は必要。幸い、自分はとても素敵な指導者や同窓生に恵まれた。

社会人大学院生も良いものだ。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

(次回につづく)



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