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『ジムノペディ』--あまりに短き恋のメロディ。

 硬質で無垢の白色カーテンが、コマを落とし、追いかけながら三拍子で揺れている。
『ジムノペディ』
 3拍ごとに鼓動する曲はワルツほどの歯切れはなく、隣り合う音同士が手を結び、はにかみながら引いては押して、ゆらりと揺れて旋律をつないでいく。

 音を導きながらステップを踏むワルツが恋をしたら、この曲は少し気が重い。

 歩みは確かに軽やかだけど、踊りはスローなブヴギほど流麗で、汗を散らせる力みはなく、ちっとも毅然じゃなく、でも芯の強さが我をたてる。勇むこともなく、たゆたうように踵を上げて、跳躍も跳ぶふりで寸止め、地につけた足は宙に浮くことはない。音の足取りはもつれそうでいて、その実、あふれた情念の足元は慎重で、水面にきらめく鱗のようにときおりかいま見せるシアンとマゼンダがスリー・ステップごと、身を翻し色を取り替えながらフロアに、計算され尽くした靴色を残していく。

 エリック・サリーはこの曲に、なだらかな丘陵を与えた。窪地に身を滑らすメロディを注ぎ、彼方までその色で染めようと試みた。淀む灰白色世界にはじける光を散らせた。軽い足どりがもつれたと惑わせながら、宙に紛れ込んだ儚さの君の興味を引き、手を伸ばしてその手を掴み、引いた。
 仕掛けは意図されていた。きっちりそろえられた和音の靴音がその証。聞き耳をたてていれば必ずわかる。どれもが巧妙な仕掛けだったということに。
 
 ギミックはこんなところにも現れている。1コーラス目を終えて振り出しに戻ったかの錯誤を醸し、それでいてシャープのF一音だけをあざとくナチュラルに変えている。少しだけ昂った旋律に、終わりに向けて少しだけクールダウンの手を入れた。
 誰がその些少で目立たぬ折り返しの目印に気づくだろう。それくらい、僅差の変調。
 その巧みさは、見栄坊で鼻高々だったサティから想像できぬほど控え目だ。いや、したたかという視点にしてやられるこちらの落ち度を高慢に鼻で笑おうという魂胆か?

 日の目を見る曲がまだ何ひとつなかった時代、彼は自らを偉大な音楽家だと吹聴していた。仲間たちは『ジムノペディ』を耳にするまで、彼が大ボラ吹きであることを疑わなかった。

 才能は時に、意識の遮光カーテンに遮られたまま秘密裏に段取られ、気づかれぬままに潜行し、遂行されていく。
 才能は凡人には理解しがたく、肉眼ではとらえられない深淵に潜むものだが、磨かれ世に出て光を浴びれば、いやが応にも気づかされることになる。

 
 幕は開き、才能が世に解き放たれた。

エリックサティ肖像画縦

 絵は、1892年前後、シュザンヌ・ヴァラドンによって描かれたエリック・サティ肖像画のラフ模写。
 絵の表情から鼻高々の自信に満ちているところが感じ取れる。いつでも「この才能にひれ伏させてやるぞ」と語りかけられているようだ。

 描かれてから130年が経った。肖像画を描いた画家と恋に落ちたが、わずか半年で終焉を迎えてしまう。マーク・レスターの『小さな恋のメロディ』ならぬ、音楽家の短な恋の物語。絵は時を経て瞬きの恋の炎を思わせる。
 幾世代も超えて語り継がれてきた、瞬きの間の恋のメロディ。

 サティも恋仲にあった数か月のどこかで、負けじとヴァラドンの肖像画を残している。五線紙上に描かれたビジュアルのアリアは、勝気で奔放な彼女を奏しているように見える。
 恋が破れても破り捨てなかったところをみると、と考えたら、たらればの物語が多様な花を咲かせた。

ジムノペディ ヴィラトン肖像画縦

※サティが描いたヴァラドンの肖像画のラフ模写。

 ロマンは絵と共に残り、ジムノペディが思い出をほのかに照らしながら涙のように流れていく。

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