3年目の財産。
円安で海外が遠くなった。背伸びして水平線の彼方を追っても、異国の大地は見えない。
そうでなくったって、あいつのせいでふるさとさえ遠ざかったままだ。
情報化は移動せずとも遠くを身近に引き寄せたけれども、反動の衝撃は大きい。行きたい気持ちはけしかけられ、欲求は募るばかりなのに、行かせてくれないんだもの。そりゃ、ヤキモキもムクムクふくらむ。
さすがにアバターに渡航させても、行った気はしないし行ったことにはならない。
デジタル・コンテンツ・ホルダーがペーパー化に憧れるのと同じで、人はいつでもないものねだり。手に入らないとなれば、とたんに欲しくなる。「あげない」と言われれば「ちょうだい」とついねだってしまう。人って元来、天邪鬼。
ダメと言われて2年が経った。今年もダメだと3年目。意思の飢えも3年?
忍耐が3年目に突入する。なんだか娯楽費の出費が抑えられたままの生活にも慣れてきたような。これって、石の上に3年座ることによる「培われた財産」なんだろか?
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