命名者はしたり顔しただろうに。
「ママ・アスリートと呼ばれるのはいやだった」
なるほど。そうだったのね。
個人の思いは止められないけど、声を挙げたことがいけなかったんだね。
挙がった声は、マスコミからだけじゃない。
個人の一粒声も拡散すればマスとなる。
何かを思っても、不用意に口に出してはいけない。
今は、そんな世。
閃きが熱いうちは、心の内でぐっとこらえておくことだ。
万が一こぼれ落ちてしまったら。漏れ出した溶液がどこまでも広がっていくやもしれないよ。
誰の仕業とざわめきたって、調査の触手が伸びてきて、そうしてバレて、コイツが張本人だと人差し指さされるかもしれないよ。
いまどきは、解析データから発信者をたぐれるようになっているから。
これは、無色透明無臭の呪縛。見えなくても臭わなくてもその鎖は手足の動きを封じる。
なんだかこれって相互監視社会みたいだけど、管理される体制云々をうだくだ並べたいわけではないのだよ。論点は周囲にではなく、個人の側にあるのだよ。
言わなくてもいいことをあえて口にするなんざ、愚の骨頂。ネットに席巻されるまでは当たり前の忍の字の粋を、今一度。匿名の特権めいた狡さの素を心中でふみつぶせ、なのである。ぷち。
つぶさずともしまっておくことができれば、だいじょうぶ。誰にも迷惑はかからない。
ふふ。
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