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街 音 変遷。

 風の歌を聴きに高原に出かけたことがある。潮風のメロディにひと夜浸っていたことがある。行って、そして帰ってくると、かつての街は、ガラクタをガラガラ引きずるようにガチャガチャ音をたてていた。年度末には突貫工事のドカドンドン、地鎮祭が終わってトカトントン、開かずの踏切鳴り止まず、押し合いへし合い進まぬ車がブーブー文句ラクション、地下鉄は大音量ライブ顔負けの轟音で、会話なんて夢のまた夢「(話すのは)次の駅に止まったら」なんて叫んでた。猫の盛りの歌声は、そりゃあもう賑やかだったもんなのさ。

 あのころ街の1日は、ひと息つくほどの寸暇も塗りたて、昼の音と夜の音に染まっていた。

 それがどうだ。最近の街ときたら、多摩川に鮎が戻ってきたみたいに、唱歌『ふるさと』然とした静寂時間に彩られてる。

 今は亡き雑多な音の数々は、取り戻せないから愛おしい。挫かれたり、怖かったり、高揚させられたり、困ったり、怒ったり、の止まぬ(発展の)優先放送は、手を伸ばしても届くことのない記憶のレコード盤に閉じ込められている。

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