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止められた時間の復元力。

 TOKYO2020。間近に迫ったオリンピックの愛称が耳に入るたび、そこだけ恣意的に時間が止められたように思うのは気のせいだろうか。時はマイペースで先へ先へと歩を進めているけれど、意志が歯止めをかけている。結果、時間はゆがみ、意識は失われた昨夏に戻っていく。だけどそこに漂うのは、取り戻せないもどかしさ。
 
 思えばこの百年は駆け足の歴史だった。地から足を離し、よちよち歩きで飛び立った空は宙へと舞台を移し、積み上げてきた歴史の書をデジタルの小箱に押し込んだ。効率化は同じ労働時間に倍の仕事を詰め込むようになった。結果、蟹とたわむるゆとりをなくし、現代の智恵子は空を見上げようともしない。背に迫るリミットから逃げるように直近をじっと見据え走る。
 
 走る足は、重い。なぜなら今に生きるには縛りがあまりにきついからだ。
 なのに人は、先を急ぐ。急げば急ぐほど足かせの抵抗勢力が勢いをつけてくるというのに。
 
 106年を誇るオリンピックの歴史の中で、2020東京オリンピックは始まる前から語られるべき十字架を背負わされた。時は堰き止められ、人は足止めされ、会場での飲酒も止められた。潤沢にまわるはずだった経済効果も堰き止められ、結果、細ったスネで走り切らなければならなくなった。
 
 期待もある。これだけ虐げられたオリンピックなんだもの。抑圧に次ぐ抑圧にホゾを噛み続けた魂の数々が、開催とともにのしかかっていた鋼鉄の扉を吹き飛ばしてくれるのではないか。
 
 止めようもなくなった、止められた時間が解放されるのだ。鬱憤を晴らすように弾ける汗に、気持ちよく踊らされてもいいだろう。
 
 止まった時間が間もなく周回遅れを取り戻すために動き出す。

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