人の姿カタチは仮の姿。意識は表皮仮面の内側から、目玉の親父よろしく顔面に開けられたふたつの窓から表をうかがっている。
アルフレッド・ヒッチコックは『裏窓』から人生の裏側が覗き見れると映画で言い表したけれども、表側の顔面窓もなかなかどうして。磨き込めば、可視視力の透視度が高まって、アイスピックで刺すように表層の虚を突き、真実に迫ることだって可能になる。
現代は、袖ふれ合っても無縁の仲。見て見ぬふりが横行し、見えていても見なかったことにする風潮が、人と人との間に見えない壁を作ってる。見えているのに見なかったことにするなんて、なんと労しいことか。
積極的に見ようと自発が発動しなけりゃ、真に見なきゃならないものは見えはせぬ。一見してとらえた表層の、その内側に隠れた(隠された)本質見抜くため、見ようとする意識を高めなくっちゃ。
ぎょろ。
昨今は、「見ない、見せない、見たがらない」の風潮に風穴開けて、虚や嘘、隠し事を見破る目が、時おり煌めく流星のように現れては、私たちの目を覚まさせてくれる。「見なければならなかったもの」を気づかせてくれるため。
でも本来なら、私たちひとりひとりがもっとこう、なんと言うのかな、虚飾の匂いを嗅ぎつけて、凝視、虚を暴くの開眼姿勢で世と対峙しなければならなかったんだよね。
もっと早くに気づいていれば、もっと多くの不正や不誠実や見せかけや黒い腹なんかが未然に防げていただろうにね。
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