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橋の架けられない川。

 かの国の垢すりじゃあるまし、こすれば出るわ出るわのボロの数々。烏の行水で落としきれない垢ならば多少の迷惑で済むものの、血税で貯めた金の使い道の裁量権、カネとコネで得られたものとなればこれまでと話が違ってくる。
 かつてトリクルダウンの時代に生きたヒトビトは、享受する額の違いこそあれ「おこぼれ中間」で容認していた節があるけれど、今は赤と白、いや白と黒、イヤイヤ赤字と黒字の差があって、対岸同士で睨み合っているのが現状だ。

 今の時代、隠し事の壁は文○砲が集めた情報で敵地を特定し、発射し、ぶち壊し、すると被写体さん「まさか」の露呈に右往左往、狼狽の極致に追い込まれ、崖っぷちの淵の縁に立たされたその身、護身の「知らぬ、存ぜぬ」冷や汗押し殺してのシラ切りも、あえなく「嘘をつけ!」の怒号で一蹴され、燃え広がった世論の援護火炎放射攻撃に、細る言い訳聞く者持たずであえなく奈落に落ちていく。

 勘違い者は、割と多くいる。投票で選ばれたから偉いんじゃない。選ばれて(しかも正攻法で)、選ばれた者なりの仕事をこなすから偉いんだよ。なのに、中には料亭通いができることを鼻にかけちゃう不届き者が出るレベル。中には料亭に通いながらしっかり仕事をする者もいるけれど、現状は遮蔽カーテン越しに見たり聞いたり話したりしているみたいに、言うこと、為すこと、すべてがくぐもっているじゃない。

 もしかしたら、くぐもっているわけじゃないのかもしれないね。

 霞ヶ関・永田町界隈は、お江戸として栄えるまで東側が海だった。見渡す限りの大海原が広がって、そりゃあもう、竹を割ったような気持ちよさ。それを、財政の乏しい明治新政府が武家屋敷を利用してマツリゴトのカナメの一丁目一番地として定めたことが始まりなんだ。
 当時は、💴よりも💗だったんだね。当たり前だけど。だって、先に取り分のこと考えてたら、いくらになるかわからぬ未来が怖くて、きっと足を竦ませていたに違いあるまい。為さなければならないことは滞り、時代も古い殻を破れなかった。

 そんな時代も今は昔。ピュアな大志は完膚なきまでに衆生濁に取って代わられ、発展と欲望の礎となり、今では立法者と被立法者の間に流れる川は、橋が架けられないほど幅広になった。対岸が見えぬほど遠くに退いた。
 くぐもっているわけじゃなかった。今や対岸は、うんざりするほど遠くにある。架けようとする橋が途中で工事が頓挫するほどに。
 

【なかなか架からない橋】


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