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太陽に傘がかかる日は。

 一昨日、月に雨が降った。月に傘がかかって(さして?)いたから。傘のかかった(さした?)月を見たのは久しぶりのこと。そんな夜の翌日は、雨雲が地球にお邪魔して、地上に雨が落ちてくる。資格取得の労を重ねずとも、にわか予報士なら誰もが知る昔人からの口伝え。
 地上では、雨になると十中八九、太陽が雲に遮られ、天を仰いでも、お日様がどこにあるのかわからない。たいがいの場合。
 ところが、セオリーどおりにはいかないこともある。なにせ天気のこと。的中率というやつは「結果」にかんたんに塗り替えられる。降水確率が50パーセントでも、雨が降っちゃえば降水100パーセント、降らなきゃ0パーセント。天気予報の降水確率というやつは、なんとも大胆な博打である。
 当たるも八卦、当たらぬも八卦。たまに中途半端な降水確率どおりの雨が降ることがある。ちょっと降って、止む、また降って止む。なるほど、これが降水確率50パーセントというやつか、と妙に納得したりする。
 雨が降れば傘がいる。だが、降水確率に合わせた傘というものは未だ発明されてない。降水確率20〜30パーセントという微妙な予報が出た日には「折りたたみの傘をお持ちになるといいでしょう」といったアドバイスをもらうことになり、人は折りたたみの傘を鞄にしのばせることになる。鞄に入れる傘は、折りたたみでも完璧な傘だ。完成度100パーセントの傘だ。だけど、考えてもみてほしい。降水確率はわずか20もしくは30パーセントしかないのだ。備えあれば憂いなしの教えに従えば、たとえ折りたたみとはいえそれなりに存在感のある100パーセントの傘を携行しなければならない。備えとは嵩張るものであり、憂いは重たい思いを背負い込むことでしか解消できないものだったのだ。
 もし現代社会に予報に合わせた20もしくは30パーセントの傘なるものが発明されていたならば、そのコンパクトさに鞄も人もずいぶん救われていただろう。「不完全な傘だと、雨が降ったら濡れちまうだろう」なんて野暮は言いっこなし。未来はいつだってこれまでの常識をひっくり返してきたのだから。

 翌日、月の傘は地上に雨を落とす代わりに、さした傘を貸したみたいに太陽に傘がかかった。一面に広がる薄い雲、そのすりガラスのような思わせぶりの目隠しの先に、見えそうで見えない、見えなさそうで実は見えているお日様が、傘をさして浮かんでいた。レースのカーテン越しに見えるようでもあったそのお姿、輪郭はボヤけているものの、透け透けでほとんど丸見え。見ようによってはシースルーのパジャマをまとっているみたいにも。でも、なんだか頭隠して尻隠さずの体みたい。だからセクシーというより、どちらかというとむしろ滑稽に思えたよ。

 太陽に傘がかかる日は、露わになったそのお姿覆うように、冬の纏の雪が降る。雪国での経験が、そう囁いてくる。

【招き猫、自ら客を招いて傘を売る。「猫に小判は要らん。黄金の価値はわからないでもないけれど、換金だなんだとめんどうだから、現金払いにしておくれ」】

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