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そうだ、キャンプに行こうと思っていたんだっけ。

 昨今、空想が過ぎる。キャンプに行こうと、現在のダウンサイジングした環境に合わせて選びなさなければならない道具が出てきて探った時のこと。椅子は小型化しなければならなかったし、テーブルはツール箱兼用とすることでダウンサイジングできる。ランタンは蛍光管のでかいやつが壊れたので、いっそLEDの小さいものに。ちびでも光量に不足ない製品がたくさんそろっているからね。
 火は、炭でも液体でも気体にでも対応できるようにしてあったが、全部を欲張る必要はない。エモーショナルには薪の炎が一番だが、直火を回避するツールはデカすぎて悩みどころとなっている。買い直すべきか、工夫して使いまわすか。一晩考えて結論が出なかったので保留とするとしよう。

 メシは現地で作る。インスタントではいけない。どこでも食べられrものを食べてしまうと、出かけた先で味わうことの意味がなくなってsまうから。鉄板と鍋と網はあるが、薄さと汎用性の高さでグリドルを仕入れるべきか今、悩んでいる。
 テントとシュラフは持ち合わせのものを引き継いで使う。組み立て式ベッドは嵩張りすぎて持っては行けないからお蔵入り。代わって、穴が開くことにそう神経を尖らせなくても済むインフレーターマットが入りようなことに気がついた。だから早々に仕入れた。
 メインランタンの他にも小型ライトが必要だったが、こいつは防災グッズから拝借すれば済む。
 入手すべきかどうか、まだ結論の出ていないツールがいくつかあるが、久しぶりのキャンプである、とりあえず火中に飛び込んでも火傷をしないだけの最低限がそろっているので、腰を上げようと思えばいつでも出かけられる。

 どこへ行こうかな。目的地選びも大切な準備である。

 夏が終われば涼しくなる。予報を頼りに、ちょうどいい感じの気候でのキャンプに夢を馳せる。
 山の移りゆく色と深さが好きなので、キャンプは山へ行こうと思っている。海は、ワイキキビーチの怖い話が脳裏にこびりついているせいで避けようとしているきらいがある。ひとりオーシャンビューの1室にこもっていると、絶ちたい想いに襲われて逝っちゃう人が出るのだそうだ。逝ったあとあちらの世界からこちらの世界に出てくるのかどうかは知らないけれども、空と海が溶けた闇の異様には、確かに魂を吸い込みそうな邪気と、そこから這い出してきそうな死者の気配がある。
「部屋は山側のほうがいい」
 ワイキキビーチ近くのホテルに設置されたカウンターだけの旅行代理店で、担当の初老の男はそう教えてくれた。すでにオーシャンビューの部屋に宿泊しているとは言えなかった。嫌な話を聞いたあとで夜ひとり部屋に戻ると、空と海の溶けたところから邪気が爪を伸ばしてきそうで、まったく余計な話を聞かされたものだと、代理店担当の初老の男を憎たらしく思ったことを今でもはっきり覚えている。
 ホラーまがいの話のせいでシーサイドキャンプを避けたいわけではなかったけれど、海に泊まりにいけば一晩中あの話を考え続けるだろうことが目に見えていたので避けたかったところはある。それは認めよう。
 で、山キャンプなのだ。
 昨今やっと夏の粗熱が取れてきて、朝晩はエアコンのスイッチを切ることも珍しくなくなった。ということは。つまり、山は涼しさを通り越して寒いくらいかもしれない。マットにシュラフ、これだけで多少の寒さは耐えられる、はずだ。だが予想を超える寒さだったら?
 北海道ツーリングの夏の日の例もある。8月のお盆のころ、美瑛から洞爺に向けて走っていた時のこと。天気は崩れないと予報は告げていたが、一面に広がる雲が太陽の熱を遮断していた。Tシャツに長袖シャツ、念のためにバッグにねじ込んであった厚手のトレーナーをジャケットの下に着込んで、さらに雨具でガードしたが、寒さはあらゆる手を使い、内側に入り込んできた。寒さで凍えた指先を温めるのにコンビニでホットコーヒーを手のひらで包んでいたら、BMWのオートバイで旅をするライダーがやってきて、平然とした顔で「寒いですね」と声をかけられた。
 あの、寒いと言いながら、寒さに実感がこもっていないんですけど。もちろん感じたままを口には出さなかった。だけどどうして平然とした顔をしていられるのか、訊かずにはいられなかった。
 訊くと「セーターにマフラーです」と言う。8月の中旬の話である。彼は冬支度を用意して夏の北海道を走っていたのだ。
 自然の力は平気で人の五感と常識を打ち砕く。あの時と同じように寒さが装備の防潮堤を超えてきたなら、一晩を過ごすという甘くぬるい夢は極寒のトライアスロンレースと化してしまう。
 北海道で味わった雪辱が蘇ってきた。あのような過ちは、二度と起こしてはならない。
 そうだ、電熱のベストがある。そいつを持って出れば、万が一寒くても凌ぎ切れるだろう。
 あのベストはどこにしまったんだっけ?
 天気予報のお姉さんは、来週から本格的な秋を感じるようになるでしょうとにこやかに語りかけてくる。彼女は、不意の寒さに襲われた経験などしたことはないだろう。だからあれだけ余裕綽々の快晴笑顔をかましていられる。そうだ、そうに違いないのだ。

 あれやこれやを考えすぎて、当初は8月の終わりに出発する予定だったキャンプがすっかり9月下旬までずれ込んでしまった。だけど、寒さ対策が万全なのか、まだ自信が持てずにいる。
 いっそのことAC電源が使えるキャンプ場にしようかな、なんてことも考え始めてしまった。電源があれば電気炬燵が使える。あったか炬燵に潜り込んでしまえば、寒波が来たってへいちゃらさ。
 寒さ対策、備えあれば憂いなし。
 ところがだ。ダウンサイジングしなければならないパッケージングに逆行していることになっちゃいないか、などとこの期におよんで初志が捻じ曲がっていることに気づく。
 いろいろ迷っていたら、なんだかキャンプすることにお腹がいっぱいになっている。
 始まりもしていないのに、終わっていく。
 考えすぎることの欠点は、イメージトレーニングが過ぎて、擬似体験で満足してしまうこと。いろいろあったなあ、と、道具集めの混迷に主軸を移し変えて、趣旨を入れ替えてしまう。
 このようにして「次こそ行こう」が三たび、四たびと重なって、キャンプへの出立がまた先送り。

 果たして、旅立ちの日はやってくるのか?

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