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老人という括りが違って思える人がいる。
老年期の白洲次郎を思う時、どうにも老人という語と結びつけにくい。
先般朝日新聞に、背筋の伸びた【凛】を醸す老女を見かけた。名のある人だったけど、名は失念した。失念するのは、凛とした老女が増えたせいだ。
老女と書いたが妥当な表現が見当たらず便宜的に老女と呼ぶが、印象は老齢だが老女という枠に収まってはいなかった。
その時に感じたことをメモしている。
「あなたの目尻に刻まれた三筋のシワは見事です。誰の目にも鮮やかな深みを伝えている」
大人が別世界にいた幼少時、老人はもはや楽園に生きるこの世の達観者に見えた。物事をよく知り穏やかで出しゃばらず、おばあさんならものの見事に美味い握り飯を拵え、おじいさんならものの見事にキセルの灰を火鉢のど真ん中に命中させる。名人芸のひとつやふたつを携えていた。
時は流れ、老人は分化しながら進化した。
大小、賢愚、陰日なた、共通点は長短の長に足並みをそろえたことくらいで、蓋を開けばまるでピンキリで、生息分布の個性は千万無量。その最頂部に君臨する老人は、大の大人も仰天の威光を放つ。いろんなシーンで現役で、大の大人もおいそれと隠居に追い込めない存在感。
老人という呼称さえ無礼千万、笑止千万。
千万ーー増え続ける老人の中でも、老人と呼ぶに呼ばれぬ人たちは、今後どのように括られていくのだろう。
彼らは、新しい老人を始める。揺りかごから始めて墓場に近づいたのに、そこから不死鳥のように蘇る生き方。AtoZのZから始まるA。さしずめ『老人ZA』といったところか。
この物語は、笑い飛ばしておしまいにするようなものではない。かつて木梨憲武が主演した映画『老人Z』(※)とは根本からして別物のわけだから。
※原作は大友克洋と江口寿史がコラボした漫画。
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